歴史さんぽ
2015年7月16日木曜日
萩往還を歩く 防府天満宮~三田尻(2) 防府天満宮①
風雨の中、防府天満宮にお参りしました。防府天満宮は幕末期には「宮市天満宮」「松崎天満宮」と呼ばれていたようです。防府天満宮と呼ばれるようになったのは昭和28年からだそうです。高杉晋作もよくお参りしていたようです。振り返ると春風楼という吹き抜けの建物があります。この建物は通称通夜堂と呼ばれています。文政5年(1822年)毛利斉煕(なりひろ)により五重の塔として工事が始まりましたが、財政難で一揆も起こったりしたので中断し、やっと明治6年に現在の二層の楼閣様式として完成したのだそうです。完成当初は祈願者の通夜堂(ガイドさんは「おこもりどう」と言っておられた)として利用されましたが、現在は剣道や柔道の奉納行事などに使われているようです。堂内には見事な彫刻の絵馬が掲げられていました。中でもこの建物を見て驚いたのは床下部分です。立派な木組がありました。このような建築は見たことがありません。ガイドさんの説明で五重の塔を作る予定で、途中まで作っていた組物を床下に利用したことが分かり納得しました。歴史のいたずらとは言え面白い発想ですね。大工さんの無念さや意地のようなものを感じます。
防府天満宮社殿(国の登録有形文化財)
春風楼
建物は吹き抜けになっている(剣道の試合などにも使われる)
見事な彫刻の絵馬が掲げられている
床下には立派な木組?!
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