歴史さんぽ
2017年2月10日金曜日
安佐北区三田 中郡古道を歩く(4)中三田駅あたり
中三田駅前の楢崎圭三が建設した道を通ります。三田小学校前の三篠川に滑ら石と言われる、川の流れで表面が滑らかに削られた岩があります。この岩は川舟が通れるように溝を掘ってあるそうですが、今回は水が多くて見えませんでした。日清戦争から太平洋戦争までに三田村で出征して亡くなられた人々と勤労学徒として広島に動員されて原爆で亡くなった人々の冥福を祈るために建てられた慰霊碑がありました。昼食を摂るために立ち寄った三田集会所の庭に久保問屋
米蔵の石棟がありました。江戸時代、高田郡16か村の年貢米をここに集荷し川舟で深川に中継していたようです。当時の繁栄ぶりが伺えます。
楢崎街道(中三田駅付近)
滑ら石(一部川舟の通い路の遺跡がみられる)
戦争や原爆で亡くなった人々の慰霊碑
米蔵の石棟
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