今年最後の夕日が静かに沈む |
2017年12月31日日曜日
2017年最後の夕日
12月31日大晦日 林道の散歩の途中、2017年最後の夕日が静かに沈んでいきました。今年もお陰様で旅行などで家にいなかった日以外はほぼ毎日ブログを続けることができました。来年も新しい出会いを楽しみにブログを続けて行くつもりですのでよろしくお願いします。
2017年12月30日土曜日
広島市西区草津を歩く(5) 教専寺
草津本町の教専寺は1561年創建の浄土真宗本願寺派の寺です。現在の本堂は昭和11年に建てられたものです。向拝を支える柱が4本あるのが特徴です。爆心地から4,990mの被爆建物です。本堂内部に入って原爆の爆風により破れた厚さ2cmの板壁を見せていただきました。境内には奉仕中に原爆で亡くなった13名の方を顕彰する護法の碑がありました。また手押しポンプがありました。
教専寺(浄土真宗本願寺派 1561年創建) |
昭和11年に建てられた本堂(被爆建物 爆心地から4,990m 向拝に4本の柱) |
本堂の原爆の爆風によって破れた板壁 |
護法の碑(奉仕作業中に原爆により亡くなった13名の方を顕彰する碑) |
境内の手押しポンプ
2017年12月29日金曜日
広島市西区草津を歩く(4) 浄教寺
浄教寺は浄土真宗本願寺派の寺院です。1491年鈴が峯観音寺として開基。1592年現在の位置に移転し、浄教寺と改名しています。1945年8月6日の原爆の投下時には屋根の一部が吹き飛ばされるなどの被害があり、本堂、経蔵、南門は被爆建物に指定されています。大手には葺き替え前の被爆した棟瓦が塗り込めてあります。境内には臥龍松という樹齢およそ300年、枝の長さそれぞれ20mもある日本最長級の見事な松がありました。本堂の斗栱も見事です。縁の前に昭和62年に葺き替える前の鬼瓦が置いてありました。江戸時代末期に四国で作られた「菊間瓦」だそうです。鳥衾の部分が原爆で破損してありません。
浄教寺大手(葺き替える前の棟瓦が塗り込んである) |
臥龍松(樹齢およそ300年 枝の長さそれぞれ20m 日本最長級) |
本堂(被爆建物 爆心地から4980m) |
本堂の見事な斗栱 |
葺き替え前の鬼瓦(原爆で鳥衾が破損して無い) |
2017年12月28日木曜日
広島市西区草津を歩く(3) お寺の鏝絵
2017年12月27日水曜日
広島市西区草津を歩く(2) 鏝絵
2017年12月26日火曜日
広島市西区草津を歩く(1)
広島市西区の草津を歩きました。旧西国街道沿いには江戸時代の終わりころ建てられた小泉家があります。屋根の上に煙だしがあるのが印象的です。向かいに「置鳳輦止處」という文字を彫り込んだ碑があります。これは「鳳輦を置きしところ」と読み明治天皇や昭憲皇太后が小泉家で休まれた記念碑だそうです。船板壁を復元したところがありました。漁業の町として栄えた草津には廃船の船板を家の外壁や塀に利用したものが多かったようですが、今では少なくなっているようです。幸福稲荷神社は被爆建物です。1370年の大火をきっかけに小祠を建てて祀ったのが始まりのようです。草津には神社やお寺がたくさんありますが。この辺りは爆心地の紙屋町からおよそ5000m位で被爆して一部壊れたももの焼失はしなかった建物が残っています。
小泉家(江戸時代終わりごろ建てられた酒造蔵) |
「鳳輦を置きしところ」明治天皇や昭憲皇太后が小泉家で休まれた記念碑 |
漁業の町として栄えた草津には廃船の船板を家の外壁や塀に利用したものが多かった |
幸福稲荷神社(1370年の大火をきっかけに小祠を建てたのがはじまり)(被爆建物 爆心地から5000m)
|
2017年12月25日月曜日
元日浦西小学校校舎が解体される
2017年12月24日日曜日
冬の林道散歩の出逢い
12月23日 冬至の次の日今日からは次第に日が長くなってきます。カメラを提げて林道の散歩です。同じ時間に歩いていると顔なじみになった方が挨拶をしてくださいます。キセキレイが飛んできて私の行先を付かず離れず案内してくれます。この時期林道の木々は葉を落とし、枯れススキの白い穂が目立ちます。まだ3時過ぎというのにもう日が落ちてきて、夕方のようです。ヤママユの繭の抜け殻が一層冬の寒さを感じさせます。道端にツルリンドウやビナンカズラ、フユイチゴの赤い実が見えるとホッとします。
キセキレイ |
付かず離れず道案内をしてくれる |
枯れススキ |
ヤママユの繭の抜け殻 |
ツルリンドウの赤い実 |
ビナンカズラの赤い実 |
フユイチゴ |
2017年12月23日土曜日
広島駅北口は今
2017年12月22日金曜日
広島市中央公園自由広場を訪ねて
2017年12月21日木曜日
三滝寺の魅力
11月27日に行った三滝寺の続きです。三滝寺は大同元年(806年)弘法大師が唐からの帰途「正観示現」の梵字を天然石に刻み、この地の岩窟に安置したところに始まると伝えられています。その後文政9年(1826年)「明憚」が三滝山に入山し龍泉寺を開基し観音堂、本堂、鎮守堂、鐘堂の建立に努め、その後を受けで「四鬼神」、「要憲」・・と江戸、明治、大正、昭和時代と度重なる土石流や原爆などを乗り越え現在を迎えています。三滝寺は紅葉の名所ですが紅葉以外にも何度行っても新しい発見がある魅力的な場所です。今回特に茅葺の茶堂と補陀落の庭の奥に流れ落ちる梵音の滝が印象的でした。またマンリョウの隣にセンリョウが赤い実を付けていました。近くには黄色い実のセンリョウがあります。これはキミノセンリョウという種類だそうです。初めて知りました。
三滝寺茅葺の茶堂(正面から) |
三滝寺茅葺の茶堂(下から) |
補陀落の庭の奥に流れ落ちる梵音の滝 |
センリョウ(マンリョウと違い実が上に付く) |
キミノセンリョウ(実が黄色いセンリョウもある) |