田中山神社の石段を上ります。この石段は文政元年(1818年)に上安・相田・高取の三箇邑が奉納したようです。この年は伊能忠敬が亡くなった年です。拝殿には大きな注連縄が掛かっています。地域の人が綯われたのでしょうか。この神社は武田信宗が、正安元年(1299年)に銀山城築城の際、鬼門封じとして勧請したと伝えられています。武田氏滅亡後は上安村・相田村・高取村の産土神として厚く信仰されてきたということです。境内には平成29年に竣工した立派な神楽殿が建っています。この神楽殿は2014年8月の広島土砂災害で倒れたヒノキを活用して建てられたそうです。石段を下りると高木幹吾翁の顕彰碑が目につきました。案内板によると明治22年に初代安村村長に就任し、以来明治40年まで村長を務めるなど安村や広島県の発展に大きな功績をあげられた方だそうです。顕彰碑前には織部灯籠が建っていました。
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田中山神社参道石段 |
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三箇邑が文政元年(1818年)年に奉納 |
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