覚法寺から山際の道を北に向かって進むと熊野神社がありました。この神社の拝殿と本殿は爆心地から4,150mの被爆建物です。更に北に進むと男埼神社の鳥居の前に着きました。この鳥居は日露戦争の時に活躍し、後に広島市長でもあった矢賀出身の豊島陽蔵が奉納したものです。神社前の道には紀元二千六百年記念の高い灯籠が建っていました。隣に今では懐かしくなった公衆電話ボックスもあります。JR芸備線矢賀駅の近くの民家の蔵には珍しいデザインの鏝絵もありました。
男崎神社
鳥居は豊島陽蔵奉納
紀元二千六百年記念灯籠
民家の蔵の鏝絵
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