2025年3月9日日曜日

3月7日の広島駅ビル新築工事

 3月7日朝、広島駅南口から、広島駅ビル新築工事の様子を見ました。2階へ電車を引き込む工事が進んでいます。現在の市内電車の乗り場はもうすぐ見納めです。タクシー乗り場はほぼ出来ています。
                広島駅2階へ電車入口
             駅前の電車の乗り場ももうすぐ変わる
 
                タクシー乗り場

2025年3月6日木曜日

3月上旬の荒谷林道

 時折小雨が降ったり、晴れたりする天気でしたが、荒谷林道に散歩に出掛けました。途中の民家の花壇ではフクジュソウのつぼみが膨らんでいました。今年は野鳥の姿が見えないことが多かったのですが、今日はヤマガラ、ミヤマホオジロ♀、ホオジロ、ジョウビタキ♀を見ることが出来ました。
                 フクジュソウ
 
                   ヤマガラ
                 ミヤマホオジロ♀
                   ホオジロ
                ジョウビタキ♀

2025年3月5日水曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(12)

 天竜川を越え、わずかに松並木が残る旧東海道を東に向かいます。宮之一色秋葉山常夜灯があります。この辺りの常夜灯は建物の中に入っています。それでは暗いのではないかと思いましたが、この辺りはとても風が強いので、風よけの為に覆いをしているのかとも思いました。宮之一里塚跡を通り、府八幡宮に着きました。府八幡宮は奈良時代に遠江国の治安を祈願して仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の3神を祀り建立された古い神社です。今回の東海道ウォークはここでゴール。次回はここからスタートです。


わずかに松並木が残る
宮之一色秋葉山常夜灯
             
                 宮之一色一里塚跡
    
                  府八幡宮

2025年3月4日火曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(11)天竜川を渡る

 天竜川沿いに六所神社があり、その近くに中野町元標が立っていました。中野町は東海道の丁度真ん中であることから「中野町」の名がついたと伝えられています。江戸時代に東海道を行き交う旅人は「池田の渡し」で天竜川を越え、東海道の往還に出ていました。現在は新天竜川橋を渡ります。長い橋を渡っていると、真っ白い雪を被った富士山が見えました。
                  六所神社
                 
中野道路元標
                新天竜川橋を渡る

 

                富士山が見えた!

2025年3月3日月曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(10)金原明善生家

 3日目、浜松宿から見附宿に向かう途中に金原明善の生家があり、立ち寄りました。部屋で金原明善の業績をまとめたビデオを観たり、ガイドさんの話を聞いたりした後、室内の見学をしました。2階は氾濫の時の住民の避難場所になっていたようです。部屋には生家で使っていた道具や、明善が亡くなる直前まで乗って山を巡回したという山籠も展示されていました。金原明善は明治の初期、天竜川の氾濫による水害で苦しむ住民の為、自費で治水工事を行った人物です。その治水の考え方は、のちの天竜川治水の基本方針ともなっているということです。又水源地の植林にも力を入れ、杉や檜など292万本もの木がある、天竜美林と呼ばれる森を作ったということです。
                 金原明善生家
 
           部屋で明善の業績をガイドさんから聞く
           2階は天竜川が氾濫した時の住民の避難場所
  
               明善が使用した山籠

2025年3月2日日曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(9)

 家康ト鍵盤がデザインされたマンホールに送られて、浜松城から東に向かいます、馬込橋を渡ると外木戸東門があります。ここで浜松宿は終わりです。更に進むと馬込一里塚跡があります。
            家康ト鍵盤がデザインされたマンホール
 
                   馬込橋
                 外木戸東門跡
    
                 馬込一里塚跡

2025年3月1日土曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(8)浜松宿

 浜松宿に着きました。浜松宿は、1843年の資料によると本陣6軒、旅籠94軒、家数1622軒、人口5964人で、城下町、宿場町として遠江の中心となっていました。きっかけは元亀元年(1570)に家康が引間城を大改築して浜松と改名し、居城を岡﨑から浜松に移したことによります。しかし明治7年(1874)失火により宿場の3分の2以上が焼失し、また太平洋戦争時の空襲により城下町の町割りや景観はすっかり失われてしまい、かつての面影は全く残っていません。ただ本陣跡などの案内板が立っているだけです。浜松城に行きました。浜松城は家康が29歳から45歳まで17年間過ごした城です。現在の天守閣は1953年に再建されたものです。家康の在城当時の石垣が新たに発見されるなど一部残っています。
                 浜松の川口本陣跡
 
                  浜松城
                新たに発見された石垣
        
              新たに発見された石垣の案内板

2025年2月28日金曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(7)舞坂宿~浜松宿へ② 軽便蒸気機関車

 浜松宿へ向かって歩く途中に掘留ポッポ道がありました。東海道線の浜松工場への引き込み線の跡を緑の散歩道として昭和60年(1985)に整備したものです。ここには大正7年(1918)に製造された初期の国産蒸気軽便機関車ケ91タンク機関車が展示されていました。この機関車は東農鉄道(岐阜県美濃太田ー多治見間)を走っていたようです。
         ケ91タンク機関車(前部)大正7年(1918)製
          ケ91タンク機関車(後部)初期の国産軽便機関車
                  運転室
                  運転
室内部
                 機関車の案内板


東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(6)舞阪宿~浜松宿へ①

 舞坂宿~浜松宿に向かいます。見附石垣は舞坂宿の東見附には石垣が築かれ、番人が立って人馬の出入りを見張っていました。その石垣が今も残っています。しばらく東に進むと松並木がありました。約700m続いています。堀江領境界石という案内板が立っています。堀江はんは明治元年に旗本大沢氏が一万石で立藩しましたが、わずか3年で廃藩になったようです。秀衡の松は藤原の秀衡が側室の遺体を埋めた場所に植えたといわれます。現在は枯れて、代わりの松が植えてありました。

2025年2月25日火曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(4)舞坂宿へ

 2日目は弁天島海浜公園からスタートです。この地点はかつては浜名湖の中で今切渡船で渡った所ですが、今は橋でつながれています。弁天橋を渡って舞坂渡船場へ、今も灯籠や石垣、雁木が残っています。北雁木は主に大名や幕府役人が使った渡船場です。ここから舞坂宿に入ります。
                弁天島海浜公園からスタート
 
                 弁天大橋を渡る
                  舞坂渡船場
         
                   北雁木

2025年2月24日月曜日

雪の日の縮景園

 広島市中区にも雪が降りました。縮景園に行ってみると茅葺や杮葺の建物の屋根に雪が積もっていました。いつもとは違う縮景園の姿を見ることが出来ました。梅の花はまだ一部が咲いているだけでした。
                   悠々亭
                  明月亭
                  清風館
                清風館・跨虹橋遠景
              一部の紅梅白梅は咲いている
 

2025年2月23日日曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(3)新居宿

 新居宿に着いたのが遅かったので、新居関所を見たら、新居の本陣は閉館になっていました。大正から昭和20年代前半頃まで芸者置屋及び小料理屋であった小松楼まちづくり交流館が開館していたので入館しました。小松楼が栄えていた頃の物が陳列されていたり、中にガラスがはめ込まれた障子等懐かしい雰囲気でした。
                新居宿本陣
           小松楼まちづくり交流館(旧小松楼本館
                  小松楼内部

              ガラスがはめ込まれた障子

2025年2月22日土曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(2)新居関所

 白須賀宿から、建久元年(1190)源頼朝が上洛の折、橋本宿に宿泊した時にこの井戸水を茶の湯に使ったとされる風炉の井等を通って新居宿に着きました。先ず見学したのは新居関所です。新居関所は100年間、幕府直轄として警備が敷かれ、通行の際には各種手形が必要で、特に江戸へ下る女性は「入り女手形」が必要であったようです。女改之長屋もありました。元禄15年(1702)に三河吉田藩の管轄となり幕末に到っています。この建物は安政2年(1855)のもので、日本で唯一の現存する関所建造物で国特別史跡になっています。
                  風炉の井
 
新居の関
関所役人
渡船場
        
                 新居関所跡の図