2025年12月2日火曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(13)藤沢宿③ 義経の首洗井戸・首塚

 

 白旗神社の近くに義経首洗井戸と伝えられる井戸がありました。案内板によると、義経は衣川で攻められ自害しましたが、その首は首実験の後、浜に捨てられましたが、潮にのって川をさかのぼり、里人に拾われてこの井戸で清められたと伝えられているとのことです。井戸をのぞいてみると水はありませんでした。 井戸の脇に義経の首塚がありました。

               義経首洗井戸案内板
                義経首洗井戸      
             義経首洗井戸の中(水は無い)
                  義経首塚
    

2025年12月1日月曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(12)藤沢宿② 白旗神社の狛犬

 白旗神社の祭神は源義経であることから、境内には弁慶を従えて馬に乗る義経像が設置されていました。本殿に上る石段の下に精悍な感じの狛犬がいました。石段上の本殿前には子連れ狛犬がいました。この狛犬は関東に多いタイプです。子駒は腕白そうな顔つきです。
                  源義経像             
                狛犬①(阿形)
                狛犬②(吽形)
                 狛犬④(吽形)
               狛犬④(阿形)は子連れ           
                腕白そうな子駒
   
 
        

2025年11月30日日曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(11)藤沢宿①

 大山道道標からさらに東に進むと道端におしゃれ地蔵が安置されていました。女性の願い事なら何でも叶えてくださる地蔵さまで、願いごとが叶うと白粉を塗ってお礼をするのだそうで、顔に白粉が塗られていました。こてはどう見ても双体道祖伸なのですが、この地では地蔵としてまつられているようです。さらに進むと藤沢宿京見附跡がありました。ここが藤沢宿の西口です。白旗神社に参拝しました。この神社は源義経を祭っています。
                 おしゃれ地蔵
 
                藤沢宿京見附跡
                 白旗神社に参拝
                  白旗神社拝殿
     
    

2025年11月29日土曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(10)

 茅ヶ崎市役所前広場には加山雄三像が立っていました。昨年の4月11日の加山雄三87歳の誕生日に除幕式が行われたのだそうです。茅ヶ崎一里塚は日本橋から14番目の一里塚です。松並木が残されています。この松並木は安藤広重が東海道五十三次に描いています。
                                                                     加山雄三像
 
             茅ヶ崎一里塚(日本橋から14番目)
                   松並木
              広重の茅ヶ崎の松並木の絵

       

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(9)

 

 東海道歩き3日目。よく晴れています。昨日ゴールした平塚宿からスタートします。平塚之デザインマンホールがありました。平塚はたなばたが有名なようです。相模川端に来ると旧相模川橋の橋脚がありました。関東大震災の時表出した鎌倉時代に相模川に掛かっていた橋の橋脚です。本物は地中に埋めてあり、見えるのはその上に置かれた精巧な複製品だそうです。橋の上から富士山が見えました。
                                            平塚のデザインマンホール
                旧相模川橋の橋脚碑
               旧相模川橋の橋脚(複製品)                                

                富士山が見えた

2025年11月27日木曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(8)平塚宿 

  平塚宿に着きました。シャッターに広重の絵が描かれていますが、本陣跡も建物は残っておらず、案内板だけです。江戸口見附跡は石垣が残されていました。

                  平塚宿碑
            平塚宿の絵がシャッターに描かれている
                 平塚宿本陣跡
  
                                                                 江戸口見附の跡


2025年11月26日水曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(7)大磯宿 

 大磯は平安時代は相模国府が置かれ、鎌倉時代は鎌倉の近郊として発展した街です。湘南という地名も大磯が発祥と言われ、湘南の地碑が立っていました。大磯宿には問屋場の案内板は立っていますが、建物などは残っていませんでした。明治24年創業というお菓子屋さんの老舗「杵新」がありました。島崎藤村や吉田茂がひいきにしていたという名物の西行饅頭を食べてみました。餡がおいしかったです。
                湘南発祥の地碑
 
大磯宿南組問屋場
老舗「新杵」明治24年創業
               名物「西行饅頭」
                 餡がおいしい