2019年2月28日木曜日

2月20日の縮景園(1)悠々亭の屋根葺き替え工事他

 2月20日の縮景園です。 看花榻近くのしだれ梅もきれいに咲いています。河津桜も満開です。悠々亭は茅葺屋根の葺き替え工事中です。屋根材の葦はなんと青森県から取り寄せているそうです。工期は3月末のようです。望春橋も修繕中です。
看花榻近くのしだれ梅

河津桜

悠々亭は茅葺屋根の葺き替え工事中

望春橋は修繕中

2019年2月27日水曜日

上蒲刈島西泊公園展望台に登る

 御手洗を後にし上蒲刈島の七国見山の中腹にある西泊公園展望台まで登ります。蒲刈ウォーキングセンターにバスを止め、センター横から登ります。途中の谷川は大きな岩がゴロゴロと流された跡があります。昨年7月の豪雨で流れたのでしょうか。急な登山道を上って行くと大きな観音像が見えて来ました。平成みちびき観音です。西泊公園展望台に着きました。ここまで車でも上がれるようです。公園には地蔵さんが並んでおり、展望台からは恋ヶ浜や県民の浜などが良く見えました。七国見山に登りたいところですが、今回はここまでです。
蒲刈ウォーキングセンター

西泊公園展望台まで登る

土砂が流れた跡

平成みちびき観音菩薩が見えてきた

西泊公園展望台(地蔵さんが並んでいる)

西泊公園展望台からの眺望(恋ヶ浜や県民の浜が見える)

2019年2月26日火曜日

呉市御手洗を歩く(10)御手洗幼・小・中学校跡~満舟寺

 歴史の見える丘公園から、御手洗幼・小・中学校跡地に下ります。そこには御手洗出身で明治維新の志士星野文平の碑がありました。高杉晋作ら諸国の藩士らとともに討幕運動に活躍していましたが志途中で29歳の若さで亡くなった人です。また二宮金次郎像もありました。薪を売りに行く間も惜しんで学問をしたという美談がモチーフですが、現在であれば通塾カバンを背負って、歩きスマホ(危険です!いけません)というところでしょうか?満舟寺に行きます。高い石垣です。戦国時代の乱れ築きです。案内板によると御手洗は鎌倉時代には来島村上氏が警護する海関が設けられていたり三島水軍と大内軍がここで海戦を行ったり、秀吉の四国攻めでは加藤清正が築城したとの記録も残っており、元々は水軍の拠点であったことが考えられるということです。境内には琉球使節の筆跡の額が掛かっている観音堂や、松尾芭蕉の百回忌を記念して当地の俳人達が建てた誰彼塚や大名以外の墓としては珍しい亀趺墓がありました。江戸時代の御手洗の文化の高さがしのばれる散策でした。
維新の志士星野文平碑(昭和7年建立)

二宮金次郎像

満舟寺の石垣(戦国時代の乱れ築き)

観音堂
琉球使節が揮毫した観音堂の額(1807年)
 

誰彼塚

亀趺墓

2019年2月25日月曜日

呉市御手洗を歩く(9)歴史の見える丘公園

 歴史の見える丘公園は小高い丘なので簡単に登れると思っていたのですが、かなり急な石段が続きます。やっと頂上展望台に着きました。高い石垣が築いてあり、まるで山城のようです。頂上からは瀬戸内海に浮かぶ島々がよく見えました。ここで目の前に広がる大パノラマを眺めながらお弁当をおいしく食べました。
急な石段が続きます

頂上展望台は高い石垣が築かれていて山城のよう

いい眺めです

歴史の見える丘公園頂上展望台からの大パノラマ

2019年2月24日日曜日

呉市御手洗を歩く(8)千砂子波止~歴史の見える丘公園へ

 防波堤の先端にある御手洗港防波堤灯台の所まで行ってみます。この防波堤は千砂子波止といわれており、元々は江戸時代1829年)に造られたものですが、平成になって修理されたところもあります。新しい石垣にひょうたんとおちょこ、とっくりの彫り物がありました。住吉神社の裏までもどると平成3年の台風19号のときの最高潮位が示してありました。災害を忘れないで被害を防ぐためにも大切な表示だと思います。山歩きの会ですから、昼食は歴史の見える丘公園(おいらん公園)で食べることにし、もと御手洗幼・小・中学校だった所から登ります。スイセンやミカンの間の登山道を登ります。スイセンがきれいに咲いています。
御手洗港防波堤灯台

防波堤の石垣に彫り物(ひょうたん・おちょこ・とっくり)

台風19号最高潮位

歴史の見える丘公園(おいらん公園)入口

スイセンやミカンの間の登山道を登る

スイセンがきれいに咲いている

2019年2月23日土曜日

呉市御手洗を歩く(7)恵美須神社~住吉神社へ

 海岸沿いの道に出ます。恵美須神社があります。社殿は寛保年間に小倉からご神体を移して建立され、度々の改修を経て、明和4年(1764年)に再建されたもので県の重要文化財に指定されています。向かいに七卿落遺跡がありました。蛤御門の変に関わって三条実美ら討幕派の公卿たちが長州への旅の途中でこの家に逗留したということです。立派ななまこ壁の家の前を通り、また海岸沿いの道にもどり、船宿前を通り住吉神社へ。石の太鼓橋の手前に高灯籠がありました。1832年に作られたものです。石の太鼓橋を渡り住吉神社へ。この神社は大阪の鴻池により文政13年(1830年)に建立されました。この神社の造営には遊女たちも献身的に協力したようです。狛犬は若胡子屋 亀女の名前が見られます。








恵美須神社(寛保年間に小倉からご神体を移す)

七卿落遺跡(蛤御門の変で都落ちした三条実美らが逗留した)
 

立派ななまこ壁の家
海岸沿いの船宿跡の前を歩く

高灯籠(1832年に建てられた。)

石の太鼓橋を渡って住吉神社へ

住吉神社(1830年建立 広島県重要文化財)

狛犬阿形(若胡子屋 亀女 奉納)

2019年2月22日金曜日

呉市御手洗を歩く(6)若胡子屋跡~乙女座

 ここで慶應3年(1867年)に御手洗条約が結ばれたという金子邸の前を歩いて乙女座跡に向かいます。途中郵便局の前に立つ丸型のポストと洋館の理髪店の間から常盤町通りの古い町並みが見えます。今回はそこは通らず、まっすぐ進みます。やがてどんな古い時計でも修理してくださるという時計店の前に来ました。10年以上前にお邪魔して店長さんにいろいろお話を伺ったことがあるのですが、今回は観光客はお断りの張り紙がしてありました。ちょっと戸を開けて店長さんに挨拶だけして、進むと懐かしいホーロー看板が目立つ御手洗昭和館や北前船などの木造船のミニチュアを展示してある店もあります。やがてひときわ目立つ乙女座の前にきました。乙女座は1937年に建設された劇場ですが、一時大長みかんの選果場に転用された時期もあったようです。2002年に復元され、現在は劇場として映画上映や大衆演劇などに使われているようです。今回は中には入りません。

金子邸前を歩く(御手洗条約が締結された)

洋館の理髪店と郵便局の前の丸いポストの向こうに古い町並みが続く

古い時計でも修理してくれる時計店

御手洗昭和館(懐かしいホーロー看板)

北前船のミニチュア

乙女座

2019年2月21日木曜日

呉市御手洗を歩く(5)若胡子屋跡

 天満宮の次に訪れたのは若胡子屋跡です。白壁のがっしりとした建物です。これは江戸時代のお茶屋だったところです。風待ち、潮待ちの港町として栄えた御手洗では4軒のお茶屋があったようですが、胡子屋は最古のお茶屋で100人もの遊女が在籍していたようです。若胡子屋内部は鉄骨で補強されていましたが、当時をしのばせる舞台などそのまま保存されています。天満宮で出合った中村春吉のスナップ写真や世界一周旅行をした自転車(本物かどうかわからない)、遊女の生活を描いた漫画などが展示してありました。庭にはお墓がポツンとありました。

若胡子屋(江戸時代のお茶屋)

若胡子内部(舞台がある)

中村春吉のスナップ写真

このような自転車で世界一周したのか?

遊女の生活を描いた漫画

若胡子屋の庭

2019年2月20日水曜日

呉市御手洗を歩く(4)天満宮②

 天満宮の境内には菅原道真とは直接関係のない石造物も置かれています。中村春吉は御手洗出身で1902年から約一年半かけて世界一周した、日本初の自転車による世界一周冒険旅行者だそうです。力石は港町にはよくあります。四十という字が見えます。40貫だとすると150㎏になります。港湾労働者が力自慢をしたものでしょう。大正3年に奉納された狛犬がいました。どっしりとした玉乗り型の狛犬ですが。耳は水平で目も穏やかでちっとも怖くありません。

中村春吉碑(日本初の自転車による世界一周冒険旅行者)

力石(40貫 150㎏!?)

玉乗り型のどっしりとした狛犬吽形(大正3年奉納)

狛犬阿形(耳が水平 ちっとも怖くない)