2016年4月30日土曜日

広島市中区縮景園で見られる生き物たち

 縮景園にはいろいろな野鳥がやってきます。今回はムクドリ、オジロトウネンの写真を撮ることができました。濯纓池にはいろいろな種類の魚がいます。跨虹橋に立つと餌を求めてたくさんの鯉が集まってきます。この池には海水も流れ込むため淡水魚だけでなくボラやスズキ・チヌなど海水魚もいます。池に浮かぶ亀を模した島には亀が甲羅干しをしていました。
ムクドリ

オジロトウネン

濯纓池の鯉

濯纓池の島で甲羅干しをする亀

2016年4月29日金曜日

広島市中区縮景園の石燈籠(2)

 縮景園ではいろいろな石燈籠が楽しめます。絵図によると設置された時期も異なり、長い間に移設されているものもあるようです。四角型石燈籠は笠・火袋・中台・竿とも四角です。笠は層塔の笠を流用したようです。竿は地中に埋め込まれて短くなっています。織部燈籠は笠の部分は宝篋印塔の笠を流用しています。他にも笠が平たい自然石の野面燈籠や雪見燈籠などがありました。他にもたくさんあるので、石燈籠だけを探して歩いてみるのも面白いかも知れません。


四角型石燈籠(夕照庵横丹楓林北詰)

織部石燈籠(超然居脇)

野面燈籠(望春橋南)

雪見石燈籠(調練馬場横丹楓林頂上)

2016年4月28日木曜日

広島市中区縮景園の石灯籠(1)

 縮景園には植物以外にもたくさん見所があります。中でも石燈籠はいろいろな型の物があり楽しめます。清風館横には春日型石燈籠があります。火袋の色が違います。原爆で壊れ、この部分だけ作り変えたためです。明月亭の西には五重石燈籠が立っています。作られたのは室町時代初期以前という説があります。楊貴妃型石燈籠は観瀾橋一帯の明かりをとる石灯籠で楊貴妃の冠の形に似ているので付けられた名前です。清風館の近く桜並木前には基礎・中台・笠が円盤状で、円柱の竿、球状の火袋、円窓の火口、笠の上に宝珠とすべて円く造られている円型石燈籠があります。
春日型石燈籠(原爆で火袋が壊れたため、この部分だけ作り変えてある)

五重石燈籠

楊貴妃型石燈籠

円型石燈籠

2016年4月27日水曜日

広島市中区縮景園は花盛り(2)

 4月25日先週に続いてまた縮景園に行きました。先週咲いていた牡丹の時期は終わり、サツキが咲き始めていました。キショウブやアヤメ、薬草園にはアマドコロやユキモチソウが咲いていました。
サツキが咲き始め

キショウブ

アヤメ

アマドコロ

ユキモチソウ

2016年4月26日火曜日

広島市中区縮景園は花盛り

 4月18日広島市中区の縮景園に行ってみました。ソメイヨシノの時期は過ぎていましたが、八重桜や牡丹、シャクナゲ、シャガなどの花がきれいに咲いていました。縮景園は四季折々いろいろな花が咲き、楽しめます。
八重桜

牡丹はいろいろな色の傘をさしている

シャクナゲ

石灯籠の周りにひっそりと咲くシャガ

2016年4月25日月曜日

広島県安芸高田市高宮町牛首城を訪ねて(2)

 最高所の郭から一段南に下がったところに、屋敷跡と言われる大きな郭があります。東側には土塁が築かれ、その内側には石積みが見られます。土塁から崖下を見ると竪堀群が見られますが、写真を撮っても、藪を撮ったものとしか見えません。山城の雰囲気が分かるように写真で撮るのは難しいです。郭にはツツジが咲いていました。城跡は余り整備されておらず、ごみまで捨ててあります。残念です。貴重な文化財です。あまり予算を使わないで整備することはできないものでしょうか。
屋敷跡と言われる郭の東側には土塁が見られる

土塁の内側には石積みが見られる

コバノミツバツツジ①

コバノミツバツツジ②

ごみが捨ててある

2016年4月24日日曜日

広島県安芸高田市牛首城跡を訪ねて(1)

 4月17日安芸高田市高宮町佐々部にある牛首城跡を訪ねました。この城はこの地を治めていた佐々部氏の居城です。初代若狭守承代が北東2㎞の面山城から耕地が開け交通の便がよく、生田川を天然の堀とするこの地に移し、以後100年間佐々部氏の居城であったようです。登山道入口はイノシシや鹿除けの金網の扉がありました。扉を開け落ち葉に埋まった登山道を登ると、やがて郭が見えてきました。最高所の郭には辰之尾権現社が建っていました。城主を祀った神社のようです。社殿、神楽殿があり、かなり広い平坦地となっています。神社の構築で改変を加えられていますが、ここに大手筋を見下ろす櫓があったのでしょうか。
牛首城跡案内標識

登山道入口には金網

落ち葉で埋まった登山道

郭が見えてきた

本丸と見られる最高部には辰之尾権現の社殿が建っている

社殿から神楽殿を見る

2016年4月23日土曜日

広島城の朝(9)

 4月23日朝の広島城の様子です。堀には冬にはあれだけたくさんいた水鳥が一羽もいません。城の東側裏門への土橋の石垣が崩れていてブルーシートがかけられています。新聞によると、長年の雨水の浸食に加え、21日の降雨が影響した可能性があるということです。この石垣は江戸前期に築かれたようです。広島城の石垣というと福島正則が崩れた石垣の修繕をしたのを幕府から咎められて転封になったというのを思い出しますが、今回は文化庁や専門家の意見を聞いて修繕するようです。勝手にすぐ修繕できないのは、昔も今も変わりませんね。表門に回ると、遊覧船が堀に浮かんでいました。4月17日4月24日、5月の連休と10月11月にも運行されるようです。堀の中から、天守閣を眺めるのも気持ちがいいことでしょう。レンタサイクルも設置されています。
水鳥が一羽もいない、静かな堀

広島城裏門の石垣にブルーシートが掛けてある

石垣が崩れた

堀の遊覧船

4月17日24日5月の連休に運行されるようだ
レンタサイクルもある

2016年4月22日金曜日

街角の猫(七福招ネコ)

 広島市中区本川町の店先に七福招ネコの置物が置いてありました。表情がかわいいので写真を撮らせていただきました。しっかり福を招いてほしいものです。
七福招ネコ①

七福招ネコ②

2016年4月21日木曜日

見立山から見た昭和47年の広島

 知人が昭和47年3月~8月頃見立山から撮影された広島市街の写真を見せていただきました。手前の建物が低いので、まだ広島城の天守閣がしっかり見えます。海岸線もよく見えます。同じ位置から写真を撮ると変化が分かって面白いです。
昭和47年に見立山から撮影した広島市街

見立山から見た広島市街(平成28年4月10日撮影)

2016年4月20日水曜日

広島市東区牛田山縦走登山(7)

 牛田山から神田山に向かいます。神田山頂上には、丸太を並べたベンチがありました。太田川方面がよく見えます。見立山に向かいます。教育センター、神田山荘を右手下に見ながら、進むと見立山に着きました。毛利輝元が天正17年(1589年)にこの地に立って城を建てる位置を見立てたことから、「見立山」と名付けられたと言われています。周りに背の高いビルが建ったので目立たなくなってしまいましたが、県立体育館の屋根の前に広島城天守閣の最上階が小さく見えました。広島の街のこのような変化を毛利輝元はどんな気持ちで見ているでしょうか。見立山から下りる途中何も書いてない塔が建っていました。帰って調べてみると、これは見立山記念塔といって、昭和7年に軍人勅諭拝受五十周年記念碑として建てられた塔で、戦時中金属部分が供出されたまま現在に至っているようです。


神田山頂上(178、7m)

 見立山頂上(118、2m)この地に毛利輝元が立って、築城の場所を見立てた

遠く広島城が見える

見立山から広島市中心部を望む

見立山記念塔(軍人勅諭拝受五十周年記念碑)

2016年4月19日火曜日

広島市東区牛田山縦走登山(6)

 尾長山から牛田山に向かいます。なだらかな尾根上を気持ちよく歩きます。途中、道脇に矢竹が生えています。そういえば、牛田山頂上は戸坂城があった所です。私設の休憩所もあります。牛田山頂上に着き景色を眺めながら弁当を食べました。案内板に戸坂城や城主であった戸坂入道道海のことが書いてありました。ここは武田氏の庶流の戸坂氏の城があり、戸坂入道道海が治めていましたが、大内氏に傾いたため武田元繁に攻められ、自刃したそうです。頂上から少し西に下った所に、戸坂入道道海の墓がありました。
牛田山への道

道脇に矢竹が生えている

休憩所

牛田山頂上(260、6m)で景色を見ながら昼食

牛田山頂上からの眺め

牛田山頂上はかつて戸坂城があった所(案内板より)

戸坂入道道海の墓