2014年1月31日金曜日

黄金山の麓を巡る(2)被爆建物 地蔵寺の本堂と庫裏

    真幡神社の隣の地蔵寺の本堂と庫裏は爆心地から3440mの地点にあり、1945年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に伝えています。
   地蔵寺の本堂


 

黄金山の麓を巡る

 黄金山の麓を巡りました。まず真幡神社に行きました。


 

2014年1月29日水曜日

廿日市を訪ねて(4)親子狛犬

  廿日市天満宮に親子狛犬がありました。彫りは深くないのですが、やさしく子狛を母狛がだいています。母狛の顔がユーモラスです。
母狛の前歯が出ているのがユーモラス

子狛が玉にしがみついているよう

2014年1月28日火曜日

廿日市を訪ねて(3)廿日市天満宮・正覺院(篠尾城跡)

 廿日市天満宮に行きました。この神社は29、2mの篠尾山に建っています。この地はかつて篠尾城があったところです。現在は天満宮と真言宗大乗寺正覺院が建っています。神社の展望台からは廿日市市街地や厳島がよく見えます。桜尾城の支城として大切な役割を果たしていたことが分かります。鳥居前には撫で牛がありました。菅原道真は丑年生まれで、牛を愛していたそうです。そこで牛は天神様のお使いとされており、この牛の頭を撫でると頭脳明晰となり、身体の悪いところを撫でると病気が治るそうです。私もしっかり撫でさせてもらいました。
29、2mの篠尾山頂上に建つ廿日市天満宮と正覺院

撫で牛

天満宮拝殿

天満宮が建っているのは桜尾城の支城篠尾城跡

篠尾城跡からの眺望(厳島がよく見える)

2014年1月27日月曜日

廿日市を訪ねて(2)街道松、桜尾城跡

 西国街道筋に街道松がありました。現在、他の街道松はほとんど枯れ廿日市市ではこの一本になってしまいました。この木には頑張って生き続けてほしいものです。かつて桜尾城があった桂公園に行ってみました。この公園は桜尾城主桂元澄の子孫、桂太郎公爵が桜尾城址を永久的に保存するために、当時の廿日市町に寄贈したことがはじまりです。このことが「桂公園碑」に書いてありました。
廿日市で一本だけ残った街道松

桂公園碑(桂太郎がこの地を寄贈し公園となった。)

厳島合戦で重要な役割を果たした桜尾城跡は今は公園となっている。

2014年1月26日日曜日

廿日市を訪ねて(1)洞雲寺

 廿日市を訪ねました。まず洞雲寺に行きました。この寺は1487年当時佐伯郡を神領として治めていた厳島神社宮司藤原教親・宗親父子によって創建されたといわれています。この寺の墓地には毛利元就に厳島合戦で敗れた陶 晴賢の首塚や桜尾城主の毛利元就四男毛利元清夫妻、毛利家重臣桂 元澄夫妻の墓がありました。
洞雲寺(曹洞宗1487年創建の古刹)

陶 晴賢の首塚 

 
桜尾城主毛利元就四男穂田元清夫妻の墓

毛利家重臣桂 元澄夫妻の墓

2014年1月25日土曜日

尾道を訪ねて(6)達人との出逢い

 浄土寺の門前で休んでいて「柔能制剛弱能制強」と書かれた石碑が目に入りました。学生時代に少しだけ柔道をかじったことがある私にとって気になる言葉です。調べてみると、この言葉は中国の兵法書「三略」にあり、この碑文は頼山陽の筆だそうです。これは新影流の剣豪「佐野勘十郎義忠」の記念碑です。文政8年(1825年)に建てられています。この碑文を二匹の獅子が支えています。この碑文と獅子の石碑は一つの石から彫りだされているそうです。尾道石工の技術の高さを示しています。浄土寺から少し西方向に歩いていくと、柔道着姿の銅像が立っています。富田常雄の長編小説「姿三四郎」のモデルといわれている西郷四郎の像です。大正9年(1920年)に病気療養のために尾道に来られ大正12年(1923年)57才で亡くなっています。因みに西郷四郎の師で柔道の創始者の嘉納治五郎の言葉は「柔能制剛剛能断柔」だそうです。尾道は剣道と柔道の達人と縁のある土地なんですね。
新影流の剣豪佐野勘十郎義忠の記念碑(文政8年)(碑文は頼山陽碑文と狛犬は一つの石から彫りだされている。)

「姿三四郎」のモデルといわれる西郷四郎の銅像(西郷四郎は病気療養のため尾道に滞在したという。)

2014年1月24日金曜日

尾道を訪ねて(5)丹生高野大明神の親子狛犬

 浄土寺を出て、浄土寺山に登ろうと急いで移動中、ふと浄土寺隣の丹生高野大明神の石段下にある狛犬を見ると、何と子狛がいます。今まで何度か浄土寺を訪れたことがありますが親子狛犬があるとは気が付きませんでした。急いで写真を撮りました。玉に登って母狛の前足に前足を掛けている子狛の姿がとてもかわいい狛犬です。奉納年は確認できませんでした。

狛犬吽形と子狛

玉に登り母狛の前足に前足をかける子狛(後ろ足が何ともかわいい)

狛犬阿形

2014年1月23日木曜日

尾道を訪ねて(4)千光寺への道

 西国寺の次は千光寺に向かいます。通常はロープウエーで上がりますが、今回は山登りの会なので、歩いて登ります。途中にある艮神社のクスノキ群は県の天然記念物。大木には大きな力を感じます。天寧寺の三重の塔の背後から尾道大橋が見える景色にはどうしてもカメラを向けてしまいます。民家の間の細い石段を上っていくと石猫が路傍においてあります。福猫石というのだそうです。千光寺に近づくと岩場があります。この岩を登る鎖場もありますが、今回は多人数なので登りません。夫婦岩もあります。この前で愛を誓うと願いが叶うそうです。千光寺本堂に行きました。千光寺は806年空海の創建といわれています。本尊は秘仏の千手観音です。たくさんの参拝者でにぎわっていました。見どころはたくさんありますが、今回はあくまで山登りが目的。あわただしくお参りをし千光寺公園に行きました。千光寺公園は春は桜の名所でにぎわうところです。
艮神社の大クスノキ(県指定天然記念物)

天寧寺の三重の塔(国重要文化財)尾道大橋の見える風景

道沿いに石猫が展示されている

千光寺に近づくと大きな岩がある。この上は鎖場

夫婦岩(この岩の前で愛を誓うと願いが叶うとか)

2014年1月22日水曜日

尾道を訪ねて(3)西国寺

 浄土寺山を下り、次は西国寺に向かいました。西国寺は729年行基の創建と伝えられる真言宗醍醐派の大本山です。仁王門に大きなわら草履が掲げられていることで有名です。仁王門をくぐり108段あるという長い石段を上るとそこに金堂がありました。そこで弁当を食べさせていただきました。食後、三重塔に行きました。途中尾道出身の画家小林和作の墓があります。
西国寺仁王門(県重要文化財 大わら草履は昨年末に取り替えられたばかり)

仁王門から金堂まで長い石段(108段あるそうだ)

西国寺金堂(国重要文化財南北朝期に山名氏により再建)

三重塔(重要文化財 1429年 室町幕府3代将軍足利義教が建立)

2014年1月21日火曜日

尾道を訪ねて(2)浄土寺山

 178、8mの浄土寺山に登ります。ほとんど石段です。途中はお地蔵様や、観音様の石像が路傍で出迎えてくださいます。頂上近くでは大きな岩に不動明王が彫ってありました。西国一の磨崖仏だそうです。頂上の展望台からは360°見渡すことができました。
浄土寺山展望台への路傍では、お地蔵様や観音様の石像が出迎えてくださる。

大きな岩に不動明王が彫られています。西国一の大きさ。

展望台に着く。

展望台からは360°見渡せる。(尾道市街地や尾道水道を望む)

2014年1月20日月曜日

尾道を訪ねて(1) 浄土寺

 1月19日、山の仲間と尾道を訪ねました。今回は一月なので起伏のある尾道の寺社を参拝し一年の無事を祈願することも目的の一つです。先ず浄土寺からスタートです。浄土寺は聖徳太子が創建したと伝えられ、足利尊氏とも深い縁のある古刹です。早速参拝しました。浄土寺は文化財の宝庫です。じっくり見学したいところですが、今回は登山が目的です。後ろ髪を引かれる思いで裏山の浄土寺山に登ります。
浄土寺本堂(国宝)

浄土寺阿弥陀堂(国指定重要文化財)と多宝塔(国宝)

本堂屋根には鳩がたくさん休んでいた。

本堂屋根の鬼瓦

2014年1月19日日曜日

広島駅南口B・Cブロック再開発工事NOW

 1月17日、広島駅南口Bブロック、Cブロックの再開発工事の様子を見てみました。Bブロックは鉄骨が大分積みあがってきました。Cブロックは建物の取り壊しが東の方から進んでいるようです。Cブロックは一部立ち退き問題が解決していないところがあるようで、まだ営業している店もあります。円満解決して新しい町づくりがうまく進むといいと思います。
広島駅南口Bブロック再開発工事の様子(1、17撮影)
広島駅南口Cブロック再開発工事の様子(1、17撮影)

2014年1月18日土曜日

スヌーピー飛行船

 1月16日4時前、周りの人が何か言いながら空を見上げているので、見ると飛行船が飛んでいます。珍しいので見ていると、どんどん近づいてきたのでデザインが確認できました。スヌーピーの絵と保険会社の文字がかいてあります。どうも宣伝の一環で全国をまわっているようです。できれば乗ってゆっくり下を眺めてみたいものです。
スヌーピー飛行船

保険会社の宣伝の一環で全国をまわっているらしい。

2014年1月17日金曜日

福山市神辺町を訪ねて(5)点描

 神辺には本陣や廉塾の他にも街道沿いに古民家が建っています。黒いなまこ壁が印象的でした。菅茶山は町の誇りです。詩碑が随所にあります。洪水を防ぐ工夫もありました。
神辺には本陣や廉塾以外に街道沿いに古民家が残っている。黒く塗ったなまこ壁が印象的。


随所に菅茶山の詩碑がある。(光蓮寺境内)

 

洪水を防ぐ堰をはめる溝

2014年1月16日木曜日

福山市神辺町を訪ねて(4)天別豊姫神社

 神辺城跡を下りて、そろそろ帰ろうと神辺駅に向かって歩いていると、天別豊姫神社前に来ました。この神社は古代からこの地域にあったようですが、建武年間に神辺城が築かれたとき、城の守護神として現在地に移され、歴代の城主の崇敬を受けたようです。せっかくなので、お参りして帰ることにしました。高くて急な石段を上ると神聖な雰囲気の中に神社がありました。参拝し本殿の方にまわってみると、そこに子だくさんの唐獅子がありました。子獅子が親獅子の飾りを咥えてじゃれついている微笑ましいものです。他に小さい獅子も足もとにいます。いい出逢いをしました。
 天別豊姫神社(古代から鎮座し建武年間1334年~1338年黄葉山に神辺城が築かれたとき、守護神として現在地に移された。神辺の地名はこの神社に由来する。)

高くて急な石段

神社本殿

本殿前には子だくさんの唐獅子があった。子獅子が親獅子の飾りを咥えてじゃれている。

本殿に向かって右の唐獅子(小さい獅子が前足の下に配置してある。)