東海道沿いに鈴ヶ森刑場跡がありました。この刑場は慶安4年(1651)江戸幕府により設けられました。八百屋お七もこの刑場で処刑されたそうです。刑場跡には処刑に使用された台石や井戸、供養塔などが点在していました。近くに涙橋がありました。鈴ヶ森刑場で処刑される罪人は、裸馬に乗せられて江戸から護送されてきた。この時、親族らがひそかに見送りに来て、この橋で共に涙を流しながら別れたということから、涙橋と呼ばれるようになったということです。
鈴ヶ森刑場遺跡 案内板 処刑に使用された台石や井戸、供養塔などが点在 涙橋
歴史さんぽ
2026年2月8日日曜日
2026年2月7日土曜日
東海道五十三次 川崎宿から日本橋まで歩く(5)磐井神社
磐井神社にお参りしました。この神社は平安時代後期に編纂された延喜式に記載されている古社です。この神社の狛犬は阿形、吽形共に3匹の子狛を連れている子だくさんの狛犬です。子狛をかわいがっているほほえましい狛犬です。道路拡張のため境内の外の歩道上になってしまいましたが、磐井の井戸がありました。この井戸は東海道往来の旅人に利用されたもので、この水を飲むときは、心正しいければ清水、邪心があれば塩水になるという言い伝えがあるそうです。
磐井神社3匹の子連れ狛犬(吽形) 子だくさんの狛犬(阿形) 子狛が背中にも乗っている
磐井の井戸
2026年2月6日金曜日
東海道五十三次 川崎宿から日本橋まで歩く(4)梅屋敷
梅屋敷に入り、梅の花を見ました。少し花が開いていました。梅屋敷は山本忠左衛門が和中散売薬所を開いた三千坪に、その子久三郎が文政の頃(1818~1829)に梅の木100本を始め花々を植え、東海道の休み茶屋を開いたことに始まるようです。中には里程標の復元されたものが立っていました。昔自然石のものがあったようですが、戦後無くなったので復元されたということです。
紅梅 里程標(復元)
2026年2月5日木曜日
東海道五十三次 川崎宿から日本橋まで歩く(3)六郷神社
六郷神社にお参りしました。六郷神社は源頼義・義家の父子が、1057年、この地の大杉に源氏の白旗を掲げて軍勢を募り、石清水八幡に武運長久を祈ったところ士気が大いにふるい前九年の役に勝ったので、その分霊を勧請したのが創建とされる古社です。この神社には1685年に奉納された、とてもひょうきんな顔をした古い狛犬がいました。境内の梅の花が咲きメジロがやって来て蜜を吸っていました。
六郷神社 古い狛犬(吽形) 古い狛犬(阿形) 梅の花にメジロが来ていた2026年2月4日水曜日
東海道五十三次 川崎宿から日本橋まで歩く(2)六郷の渡し
多摩川は六郷川と呼ばれ、東海道には最初1600年に橋が架けられ、その後1613年、1643年、1662年、1684年と5回も掛け直されましたが、1688年の洪水で流されて以後橋は架けられず、代わりに六郷の渡しが設けられました。この六郷の渡しのお陰で川崎宿は随分繁盛したようです。現在は渡しは廃止され六郷橋が架けられています。六郷橋の親柱の上には渡し舟がデザインされています。六郷橋を渡っていると真ん中あたりで東京都大田区と川崎市の境がありました。橋を渡りきると早速東京都のデザインマンホールが設置されていました。私たち一行はいよいよ東京都に入りました。
六郷の渡しのお陰で繁栄した川崎宿 六郷橋の親柱には渡し舟がデザインされている 橋の中ほどが川崎市と東京都大田区の境 東京都のデザインマンホール2026年2月3日火曜日
東海道五十三次 川崎宿から日本橋まで歩く(1)
1月31日と2月1日の二日間で川崎宿から日本橋まで歩きました。川崎市の東海道のデザインマンホールは広重の六郷の渡しがデザインされています。先ず向かったのは東海道かわさき交流館です。この館は東海道川崎宿の歴史や文化を学び、それを後世につたえいくための施設です。館内には挟み箱などの旅の道具や川崎宿のジオラマなどが展示されていて、川崎宿や江戸時代の旅のことを学ぶことが出来ました。
川崎市のデザインマンホール2026年1月30日金曜日
1月下旬の荒谷林道
晴れてはいるのですが、寒い日となりましたが荒谷林道を散歩しました。野鳥の声がせずとても静かです。山繭が枝にぶら下がっていました。眉の中でヤママユガの幼虫が春が来るのを待っているのでしょう。ヤツデの実ができていました。
山繭 ヤツデ ヤツデの実
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