梅屋敷に入り、梅の花を見ました。少し花が開いていました。梅屋敷は山本忠左衛門が和中散売薬所を開いた三千坪に、その子久三郎が文政の頃(1818~1829)に梅の木100本を始め花々を植え、東海道の休み茶屋を開いたことに始まるようです。中には里程標の復元されたものが立っていました。昔自然石のものがあったようですが、戦後無くなったので復元されたということです。
紅梅 里程標(復元)
多摩川は六郷川と呼ばれ、東海道には最初1600年に橋が架けられ、その後1613年、1643年、1662年、1684年と5回も掛け直されましたが、1688年の洪水で流されて以後橋は架けられず、代わりに六郷の渡しが設けられました。この六郷の渡しのお陰で川崎宿は随分繁盛したようです。現在は渡しは廃止され六郷橋が架けられています。六郷橋の親柱の上には渡し舟がデザインされています。六郷橋を渡っていると真ん中あたりで東京都大田区と川崎市の境がありました。橋を渡りきると早速東京都のデザインマンホールが設置されていました。私たち一行はいよいよ東京都に入りました。
六郷の渡しのお陰で繁栄した川崎宿 六郷橋の親柱には渡し舟がデザインされている 橋の中ほどが川崎市と東京都大田区の境 東京都のデザインマンホール晴れてはいるのですが、寒い日となりましたが荒谷林道を散歩しました。野鳥の声がせずとても静かです。山繭が枝にぶら下がっていました。眉の中でヤママユガの幼虫が春が来るのを待っているのでしょう。ヤツデの実ができていました。
山繭 ヤツデ ヤツデの実