2014年5月21日水曜日

益田市を訪ねて(4) 七尾城跡

 益田氏の居城七尾城跡に登りました。住吉神社の長い石段を上り、神社から土道になります。途中馬釣井跡や厩の段、二の段など城の施設跡が残されていました。本丸からは益田の街が良く見えました。
七尾城跡へは住吉神社の参道の長い石段を上る。

城跡に残る井戸

本丸跡(あまり大きな建物は無かったようだ)

本丸跡から益田の街を望む

七尾城説明板(山全体が城郭化されていたようだ)

2014年5月20日火曜日

益田市を訪ねて(3) 中須東原遺跡

 中須東原遺跡に行きました。中世の湊町の跡です。一面の草原でしたが市教委の方の説明によると、この地から大規模な船着場や鍛冶工房跡、掘立柱建物跡に施設やタイ陶器・高麗青磁なども出土しているそうです。中世の日本海交易がアジアや国内各地とつながって活発に行われていたことがうかがえます。この地を治めていた益田氏は日本海交易を積極的に行うことにより、利益を得ていたようです。益田氏は毛利元就との和睦の際朝鮮の虎の皮や蝦夷地の昆布・数の子を贈っているそうです。

土砂の流入や海面の後退により、湊の位置も時代によって移動している。

この地から大規模な船着場や鍛冶工房跡などの施設やタイ陶器、高麗陶器など外国からの物品も出土している。

説明板があり、この地がかつて湊町であったことがわかる。区画整理事業を進める前に発掘調査したところ発見された。保存方法などは、今後検討するらしい。

2014年5月19日月曜日

益田市を訪ねて(2) 雪舟庭園

 日本の水墨画を大成した雪舟(1420~1506)は益田市と深い関わりのある禅僧です。幼少の頃、絵を描くことを禁じられたため、涙でネズミを描いたことで有名ですね。
 亡くなった場所は諸説ありますが益田市の東光寺(大喜庵)説が有力です。東光寺には雪舟の墓や灰塚があります。医光寺や萬福寺には雪舟が作ったといわれる庭園が残されています。
東光寺(大喜庵)にある雪舟の像

医光寺の雪舟庭園 「鶴を形どった池に亀島を浮かべている。」(国指定史跡及び名勝)

萬福寺の雪舟庭園「明と暗が巧みに使い分けられている。池は心の字を表しているという。」(国指定史跡及び名勝)

2014年5月18日日曜日

益田市を訪ねて(1) 医光寺の昇鯉

 益田市にひろしま日本史を学ぶ会の企画で研修旅行に行きました。益田市は中世の史跡が多い街です。雪舟が居たことがあり、雪舟庭園が二か所もあります。その一つ医光寺の雪舟庭園を訪ねたところ、ここにも昇鯉が!三日連続で出逢いました。こんどはチェンソー彫刻です。とてもチェンソーで彫ったとは思えない細かい見事な彫りです。
益田市の医光寺玄関に置いてあった昇鯉(チェンソー彫刻)

とてもチェンソーで彫ったとは思えない見事な彫りの「鯉滝上り」(林 隆雄作)

2014年5月17日土曜日

広島護国神社の昇鯉の像・双鯉の像

 広島護国神社に行ってみると、ここにも立派な昇鯉の像が設置されていました。撫でると難関突破・目標達成・開運出世の願いが叶うそうです。広島カープの優勝を願ってしっかり撫でさせてもらいました。反対側には二匹の鯉が泳いでいる像がありました。こちらは家内安全・夫婦円満・恋愛成就の御利益があるそうです。
昇鯉の像(難関突破・目標達成・開運出世)
 
双鯉の像(家内安全・夫婦円満・恋愛成就)

広島護国神社

2014年5月16日金曜日

昇鯉の鐘楼

 広島市西区横川から南に本川沿いの道を歩いていると鬼瓦が鯉の鐘楼があることに気づきました。屋根の上で勢いよく滝登りをしています。表に回ってみると真行寺の鐘楼だということが分かりました。寺の人に聞いてみると屋根の葺き替えのとき、広島城が鯉城であることから、縁起のいい昇鯉のデザインにしたということです。今年のカープは昇鯉、勝利で優勝だ!
真行寺鐘楼

鬼瓦は昇鯉

降棟の鬼瓦も鯉(鯉城にちなんでこのデザインを選ばれた)

大棟にも鯉が泳いでいる

2014年5月15日木曜日

広島駅北口二葉の里再開発工事NOW(3)

 少し前になりますが5月7日に広島駅北口二葉の里再開発工事の様子を見てみました。医療施設の建築工事が進められていました。工事中の通路のパネルは光触媒で空気をきれいにしているそうです。環境にも配慮されているのですね。

広島駅北口二葉の里再開発(H26、5、7)

建設が進む医療施設の建物

工事中の通路はフェンスで囲まれている。

光触媒作用で空気をきれいにするパネル