2024年6月17日月曜日

東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(8)

 水口宿の脇本陣であった町家の軒下に猫が道行く私たちをみています。やがて東見附跡に着きました。ここで水口宿は終わりです。ここから東に向かってあるきます。江戸時代の子の道は松並木が続いていたようです。大きな岩そのものを神体とした岩神がありました。今在家一里塚跡がありました。
 
                水口宿脇本陣
                 水口宿東見附
               かつては松並木が続いていた
                  岩神
                 今在家一里塚
 

2024年6月16日日曜日

東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(7)

 古城山が見えます。この山に水口岡山この城は天正13年(1585)に秀吉の家臣の中村一氏によって築城されました。山全体を要塞化し、石垣を築くなど、大規模な城でした。関ケ原の戦で西軍に視方志敗れた三代城主長束正家は帰城後、池田長吉らに攻められて、城は炎上、落城し、正家は日野に逃れ自刃しました。しばらく歩くと高札場跡がありました。高札のレプリカも展示されています。本陣跡は建物は現存しませんが、この本陣に明治天皇が明治2年に宿泊されたということで、明治天皇行在所聖蹟の石碑が建っていました。

                 水口岡山城跡
                  高札場跡
                 水口宿本陣跡
                明治天皇行在所聖蹟

 

2024年6月15日土曜日

東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(6)

 2日目は水口宿から土山宿まで歩きます。歌川広重の浮世絵と説明で江戸時代の水口宿の様子が分かります。干瓢作りが盛んだったようです。水口宿には町毎に曳山蔵があります。曳山祭は享保年間に町民により始められた祭りで、曳山巡行と水口囃子で知られるそうです。水口岡山城が築かれた天正13年(1585)に敵を迷わせるためにわざと三本の道を造らせたという三筋に着きました。そこにはからくり時計がありました。古い町家が残る旧東海道を歩きます。
                 水口宿案内板
                  曳山蔵
               水口まつりの案内板
                三筋からくり時計
               旧東海道を歩く
 

2024年6月14日金曜日

東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(5)信楽駅

 一日目のウォークは水口宿の途中までです。夕食は信楽高原鉄道の信楽駅近くのレストランで食べました。信楽駅には駅前に大きなたぬきの公衆電話ボックスがあったり、信楽焼のモニュメントがあったりします。一人乗りの超小型電気自動車コムスのレンタカーが置いてありました。一度乗ってみたいと思いました。
                   信楽駅
               駅前の公衆電話は大たぬき
                信楽焼のモニュメント
             1人乗り電気自動車のレンタカー
 

東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(4)

 水口宿の西の見附跡がありました。ここから水口宿となります。神社の木に掛けられた勧請縄は魔除け等の意味があるそうです。北邸町には百間長屋があり下級武士たちが隣り合って住んでいました。これは敵が攻めて来た時城・藩邸を防御するためにありました。水口城は寛永10年(1633年)に3第将軍家光の上洛に際して築かれましたが実際の城の利用は、家光上洛の帰途の寛永11年8月6日の一泊のみであったという贅沢な城です。
                水口宿西の見附跡
                 勧請縄
                 百間長屋
                  水口城
 

2024年6月12日水曜日

東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(3)

 水口宿に向かって真っすぐに続く道を歩きます。泉一里塚がありました。一里塚には榎等が植えられていたようです。この一里塚はモニュメントで、実際の一里塚は現在地よりやや野洲川沿いにあったようです。水口宿の手前に造り酒屋があり、立ち寄りました。試飲販売もありましたが、酒蔵に古い酒造りの道具なども展示されていました。

東海道泉一里塚(モニュメント)
                   麦畑
              
              水口宿手前の造り酒屋
              古い酒造りの道具の展示
 

2024年6月11日火曜日

東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(2)

 大沙川も天井川です。堤の上に、幹の周囲4,5m、樹高25m、樹齢750年と言われる弘法杉が聳えています。弘法大師がここを通りかかったとき、この場所で昼食を摂り、その時使った杉箸を刺したところ、生長しこのような大杉になったという言い伝えがあります。かつては2本並んで立っていたそうですが、現在は1本でした。杉に触ってエネルギーをもらい、明治10年着工、明治17年完成の隧道を潜ります。この近くに三雲城跡があり、説明板がありました。1488年佐々木六角氏の家臣三雲典膳によって築かれ、1570年尾田信長の京都侵攻の時、信長の家臣佐久間信盛によって滅ぼされた城のようです。途中昼食をはさんで、しばらく歩くと横田の渡しに着きました。増水期の3月~9月には渡船、渇水期には土橋を築いて旅人を渡していた場所です。泉には東海道筋でも最大規模を誇る常夜燈が建っていました。高さは7mもあるそうです。
                 大沙隧道
                  弘法杉
                三雲城跡案内板
                  常夜燈