最後に案内していただいたのが、木曽義仲に関わる場所です。地蔵院は木曽義仲が粟津ヶ原の合戦で敗死したため、三男三郎義重がその家臣覚明と30余人を引き連れて船で逃れこの島の出島に上陸、土地を拓き、農耕をして再挙の機会を待った。その間文治年間(1185~1189)に義重、覚明の発願により、浄土寺を建立して菩提所としたのが始まりです。その後享保元年(1716年)に現在地に移転したようです。地蔵院の墓所には木曽義重一族36人の墓といわれる三十六苗荒神があるそうですが、今回は行きませんでした。地蔵院の屋根には見事な獅子の留蓋がありました。地蔵院から少し北に行ったところに覚明神社がありました。義重並びに家臣はこの地に住み、土地を拓き、寺社を建て、農耕改良に尽くしたことから、向島の住民がその徳を慕って、この社を建て農業の守護神として崇め祀ったもののようです。祭神は木曽義仲・木曽義重。太夫坊覚明ですが、木曽義重と覚明は一族の自立を見届けた後、信州へ帰ったそうです。今回の向島さんぽは、親切な方にご案内いただき思わぬ収穫がたくさんありました。素晴らしい出会いに感謝しつつ帰りの渡船に乗り、向島を後にしました。
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地蔵院 |
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地蔵院屋根留蓋 |
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覚明神社 |
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渡船船着場 |
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