歴史さんぽ
2017年1月6日金曜日
二葉山山麓七福神めぐり(4) 饒津神社②
饒津神社本殿の東に赤い鳥居が並んで建っています。稲荷神社です。この稲荷神社はかつて縮景園の棋福山に建っていたのですが、原爆により焼失したため、この地に御霊代を勧請して建てられたものです。案内板によると、この饒津神社も爆心地から1800mの位置にあるため原爆の影響で焼失しました。被爆時の写真にも写っているひび割れた手水鉢が置いてありました。また参道には松の切り株があります。この松は被爆後も生き延びていましたが平成15年残念ながら枯れたので、広島の歴史・神社の伝統・原爆の鎮魂の証として保存されています。年輪をみると昭和20年から昭和44年の間の年輪がつまっており、ほとんど成長していないことが分かります。原爆の影響とみられています。
稲荷神社
縮景園の稲荷神社の御霊代を勧請して建てられた
1945年8月20日の饒津神社の写真(尾木正巳氏撮影 説明板より)
被爆した手水鉢
被爆樹木の松(爆心地から1720m)被爆にも耐え生き延びていたが平成15年枯れたので保存されている
昭和20年~44年の間ほとんど成長していない
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