2018年6月20日水曜日

初夏の荒谷林道の野草

 6月12日 梅雨というのに良く晴れて、さわやかな風も吹き、気持ちの良い日です。そこで植物に詳しい友人と荒谷林道を散策しました。オカトラノオが咲き始めています。道端でひっそりと咲いているのはイチヤクソウです。これは一薬草と書き薬草だそうです。木の上ではイワガラミが咲いていました。キランソウも見つけました。オオハンゲはいつもの場所で咲いています。家に帰って我が家の庭をふと見るとオオハンゲを小さくしたような花が咲いています。写真を撮って調べてみるとハンゲ(半夏)のようです。これも薬草だそうですが、どこからか種が飛んできたのでしょう。それにしても我が家の庭は野に近いのを改めて思い知らされ、苦笑しました。
オカトラノオ
イチヤクソウ(一薬草)

イチヤクソウの花と実

イワガラミ


キランソウ

オオハンゲ

我が家の庭に咲くハンゲ
ハンゲの花

2018年6月19日火曜日

安佐南区 安の花田植を観る

 6月10日安佐南区上安の田んぼで「第13回再現安の花田植」が行われました。心配された雨も降らず曇り。花田植はこの地域では江戸時代から一時途絶えはしたものの約200年以上も盛んに行われていました。しかし、昭和34年を最後に途絶えてしまいました。それを残念に思った地域の人々が「安花田植保存会」を設立し、平成18年には「安の花田植実行委員会」を立ち上げ花田植を復活したのだそうです。神事に続いて子ども達による采振りがあり、続いて田んぼに飾り牛が入り代搔きです。エブリで田んぼを均した後、太鼓打ちと早乙女が田んぼに入り、音頭出しの唄や鳴り物に合わせて田植えをします。地域の子供たちや、大学生も北広島町の牛も協力して再現された安の花田植え。地域のパワーを感じました。ぜひこれからも続けて欲しいものです。

子ども達による采振り
飾り牛による代搔き

エブリで均す

音頭出しの唄や鳴り物・太鼓に合わせて早乙女が田植えをする

2018年6月18日月曜日

岩国錦帯橋・岩国城を訪ねて(10)岩国城を下山し帰宅の途に

 天守台跡は平成7年に一部埋まっていた石垣を発掘して復元したものです。この石は城山の西南の峰づたいの岩窟から運ばれたもののようです。荒く割って積み上げています。大急ぎで築いた城を破壊しなければならなかった吉川広家はさぞ無念だったことでしょう。少し下ると大釣井跡がありました。説明板によると、ただの井戸ではなく非常時の武器弾薬等の収納や落城時の脱出口として作られたと伝えられているそうです。広家は関ケ原後も戦があることを想定してこの城を築いたことが分かります。城山一帯は「城山おもしろパーク」になっておりロープウェイ頂上駅近くの交流ひろばにはからくり時計がありました。下山はロープウェイを利用せず、歩いて下山しました。途中散歩中の地元の人に出会い、近道を通っていろいろな話を伺いながら下山することができました。そろそろ日も陰ってきたので、高速バスで広島に帰りました。岩国城には何回か行っていますが、何度行っても新しい発見があります。ふと今は亡き父が出征前に錦帯橋で撮った写真が古いアルバムに残されていたのを思い出しました。おそらく昭和10年頃だと思います。水兵さんが写っています。休暇で錦帯橋を訪れたのでしょうか。水兵さんはどんな思いでこの橋を渡ったのでしょうか。
天守台跡 平成7年(1995年)発掘復元

大釣井跡(非常時の武器弾薬等の収納、脱出口とも)

交流ひろばのからくり時計

日が陰ってきた錦帯橋
錦帯橋を渡る水兵さん(昭和10年頃)

2018年6月17日日曜日

岩国錦帯橋・岩国城を訪ねて(8)岩国城へ

 岩国城には歩いて登るつもりでしたが、暑い中をいろいろ回っているうちに、疲れてきました。やむなくロープウェイで登ることにしました。これなら約3分で山頂駅に着きます。山頂駅から本丸まで少し山道を登ります。石垣が見えてきました。石垣の角はまだ算木積にはなっていません。積み方も野面積です。途中空堀がありました。近世に入って築かれた城で山頂に城郭を築き、防衛を主体とした空堀を築造したものは極めて珍しく、日本最大の箱堀構造だということです。本丸跡に着きました。天守が目の前に現れました。この天守は昭和37年(1962年)に再建されたものです。

岩国城ロープウエイ

山頂駅

岩国城の石垣が見えてくる

石垣の角はまだ算木積が不完全

野面積

箱堀構造の空堀

岩国城天守

岩国錦帯橋・岩国城を訪ねて(9) 岩国城天守

 岩国城は桃山風南蛮造りで吉川広家が1601年に赴任し1602年から横山に築城が開始され1608年に竣工しましたが、わずか7年後1615年一国一城令により破却され廃城となりました。天守は現在地より約30m離れた位置にありました。内部には刀や槍などの武具や城の資料、錦帯橋の模型などが展示してありました。最上階には床に古地図が描かれ、当時の様子をしのぶことが出来るようになっています。最上階からの眺望はとてもよく、岩国の街から瀬戸内海までよくみえました。眼下には錦帯橋がよく見えました。
1962年復興(鉄筋コンクリート造)

4重6階(桃山風南蛮造り)

最上階の床面の古地図

天守最上階からの眺望

錦帯橋を渡っている人もよく見える

2018年6月15日金曜日

岩国錦帯橋・岩国城を訪ねて(7)旧目加田家住宅

 旧目加田家住宅を見学しました。ここではボランティアガイドさんに説明していただきました。目加田家は岩国藩の中級武家の住宅です。この住宅は18世紀後半に建てられた家です。屋根には煙出しも見られ裏座敷の上には屋根裏部屋が設けてあります。特に両袖瓦葺であることが西岩国地区独特なのだそうです。比較的木割が細いため、屋根が重くならないようにすべて本瓦葺にしないで、本瓦の間に両袖瓦を入れています。この住宅は国の重要文化財に指定されています。庭にはコウゾ、ミツマタが植えてありました。ガイドさんに「ほら」と指さされた先にコウゾの花が咲いていました。岩国の紙は大坂市場で日本を代表する紙として流通しており、岩国藩の大きな財源となっていたため「軒別三株楮」の制を敷き、戸別に三本の楮を植え付けることが義務付けられたようです。
旧目加田家住宅(表)

旧目加田家住宅(裏からみると屋根裏部屋が設けてあることが分かる)

井戸

両袖瓦(西岩国独特の瓦)

楮の花(紙づくりは岩国藩の主要産業)

2018年6月14日木曜日

岩国錦帯橋・岩国城を訪ねて(6)吉香神社~白山比咩神社

 吉香神社の狛犬はもう一対います。大正2年に奉納された尾道玉乗り型です。白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)の鳥居前に来ました。この鳥居は1694年に建立されたものです。 この神社にも狛犬がいます。白山比咩神社の創建ははっきりしませんが、吉川氏の時代は吉川家歴世の産土神として崇敬され、かつては立派な社殿であったようですが明治23年に火災で焼失したようです。明治31年に再建されたものの、拝殿は平成16年に焼失し現在の拝殿は平成17年に再建されたもののようです。この神社では神門の屋根の獅子の留め蓋が印象的でした。

吉香神社狛犬(大正2年奉納)

白山比咩神社鳥居(1694年建立)

白山比咩神社狛犬

白山比咩神社拝殿(平成17年再建)

白山比咩神社神門屋根獅子の留蓋瓦