2013年9月30日月曜日

大丸峯山登山(2) 樹木、山野草

 大丸峯山の登山道ではアベマキの大木が目立ちました。炭の材料として切られなくなったため大きく育ったのでしょうか。厚い皮に覆われた幹にさわってみると温もりが感じられました。木陰ではあまり多くの山野草は花を咲かせていませんでしたが、アキチョウジやキバナアキギリが目立ちました。
アベマキの大木が目立った

アベマキの厚い皮は戦後コルク材の代用にもされたことがあるという。さわってみると温もりが感じられた。

アキチョウジ

キバナアキギリ

2013年9月29日日曜日

北広島町大丸峯山登山

 団地の山の仲間と北広島町豊平の大丸峯山778,5mに登りました。多少涼しくなったとはいえ、急な坂道を登ると暑く、汗がたくさん出ましたが、尾根に上がるとさわやかな風が吹き、気持ち良く登ることができました。紅葉はまだ始まっていませんが、ススキの穂が出て、一足早く秋がやってきていました。
杉や桧が植林された急な山道を登る。

登山道の途中には所々に頂上までの距離や、言葉を書いた立札が立てられている。ここに米軍の風防が落下したらしい。

頂上には立派な看板が立てられている。山の高さは778、5m

 頂上は見晴らしが良く、麓の豊平の集落やゴルフ場、遠くの山々まで良く見える。紅葉はまだだが、ススキの穂が出てすっかり秋。

2013年9月28日土曜日

あさひが丘神楽祭

 あさひが丘神楽祭に行きました。上演はあさひが丘神楽団です。あさひが丘団地の中にある神楽団ですが年々演目も増え、技量が上がり、見応えのある神楽でした。会場いっぱいの観客で団地内の人全員が集まったのではないかと思われるほど盛況でした。若い人や子どもも熱心に観て盛大な拍手を送っていました。こうして民俗芸能が受け継がれていくのはよいことですね。
山姥(広い会場いっぱいの観客が集まった。)

悪狐伝(悪狐が一瞬のうちに変身する)

悪狐伝(狐が太鼓の上から飛び降りる大技)

2013年9月27日金曜日

ワルナスビ

 横川橋の南詰の川沿いに春からずっと咲き続けている白い花がある。ジャガイモの花に似ているがジャガイモではない。園芸種かなと思ったが、野草のようでもある。調べてみるとワルナスビという外来種の野草らしい。それにしても気の毒な名前が付いている。トゲがあり、全草が毒を持っており家畜が食べると中毒死することもある。種や地下茎で増え、繁殖力が強く耕運機などですきこむと地下茎の切れ端から芽が出て、かえって増え、除草剤も効きにくいことなどから、牧野富太郎が名づけたらしい。よく見ると、清楚で美しい花です。“ワル”といわれているがきっといいところがあるはずです。
横川橋南詰 川沿いで花を咲かせているワルナスビ

花はナスやジャガイモの花と似ている。茎には鋭いとげがある。

2013年9月26日木曜日

彼岸花の咲く風景

 まだまだ残暑が厳しい日が続いていますが、季節は秋。彼岸花が花盛りです。いろいろなところで咲く彼岸花の写真をとりました。
ハンヤ(灰屋)の脇でひっそり咲く彼岸花(安佐北区鈴張)

群生する彼岸花(安佐北区飯室)

残されたとうがんと彼岸花(安佐北区飯室)

棚田脇に咲く彼岸花(安佐北区後山)

2013年9月25日水曜日

府中市上下を訪ねて(3) 母の像

 府中市上下町民会館前の植え込みに「母の像」が設置されていました。松江城内にある護国神社に設置してあったものと全く同じ像です。今年6月に出逢ったばかりですので、何か因縁のようなものを感じました。どうもこの像と同じ像が靖国神社に設置してあるらしいです。元岡山大学助教授 宮本 隆の制作です。このように妻子に見送られて戦場に行く父親はどのような思いだったのでしょうか。残された母親はどのような気持ちで子どもを育てたのでしょうか。
母の像(宮本 隆制作)

2013年9月24日火曜日

府中市上下を訪ねて(2)郷土人形資料館

 末広という書画・美術品などを売っている店の前にまぼろしの上下人形展示してありますと書いてありました。中に入ると、お店のご主人が店の奥に案内してくださり、江波焼の皿など様々な骨董品を見せてくださり詳しく説明してくださいました。次に郷土人形館という看板が掲げられ、おびただしい数の郷土人形が展示してある部屋に案内されました。特に上下人形、三次人形、三原人形などの土人形のコレクションが きちんと分類して展示してありました。なんと千体もあるそうです。三次が、あの赤穂の浅野内匠頭の奥方阿久利姫の故郷であることから、三次人形の菅原道真は白い装束を着たものが少ないなど、お店の人がその微妙な違いなどを熱心に話してくださいました。その話に私も引き込まれ土人形に興味がわいてきました。
末広酒蔵資料館(現在は骨董屋さんだが、かつては酒造場であった建物)


郷土人形館の看板が掲げられ、おびただしい数の郷土人形が展示されている。
 特に土人形のコレクションは千体もあるという。お店の方が熱心に説明してくださった。

2013年9月23日月曜日

府中市上下を訪ねて(1)

 府中市上下の旧街道筋商店街を散策しました。上下はかつて石見銀山の銀の集積中継地で、幕府の天領として代官所も置かれるなど栄え、白壁やなまこ壁、格子戸など昔ながらの家が残る商店街です。しかし、今は人っ子ひとり通っていないのには驚きました。お店を覗くと中にはお家に古くから伝わる道具や「お宝」が展示してあり、なにも買わないのにお店の人が親切に説明してくださいました。街全体が博物館のようです。
府中市上下の旧街道筋 (歴史と文化の薫る街)

お菓子屋さんの空きスペースには、古くから伝わる様々なものが陳列されている。

毛糸屋さんの戸口には蘇民将来子孫家と書かれた注連縄が掲げられていた。

 現在は毛糸屋さんだが、かつては和菓子屋さんの老舗であったということで、懐かしいブリキ看板の奥にはお菓子を作るときに使う木枠が展示してあり、お店の人が詳しく説明してくださった。

2013年9月22日日曜日

西国街道 己斐~草津間を歩く(5) 親子狛犬

 草津で二組の親子狛犬に出逢いました。何となく慈光寺の門内を覗くとそこに狛犬がありました。寺に狛犬?と思ってよく見ると親子狛犬です。早速寺の中に入って写真を撮らせていただきました。吽形の狛犬が子狛の頭に左前足を置いています。母親狛が子狛の頭を「よしよし」となでているように見えます。慈光寺の中には鳥居も建っており、神仏習合の色合いがまだ残っています。ちなみにこの寺の山門は被爆建物です。次に住吉神社に行ってみると、そこにも親子狛犬がありました。こちらの狛犬は阿形の方(父親)が子狛のお腹を押さえつけて折檻しているようです。しかし子狛も負けてはいません。とてもやんちゃな子狛のように見えます。
慈光寺の狛犬 阿形(玉に左前足を置いている)

慈光寺の狛犬 吽形(子狛の頭に左前足を置いている)

住吉神社の狛犬 吽形(玉に左前足を置いている)

住吉神社の狛犬 阿形(子狛お腹を左前足で押さえつけている)

父「もういたずらしないか」子「いやだ」こんなやり取りが聞こえてきそう。

2013年9月21日土曜日

西国街道 己斐~草津間を歩く(4) 鏝絵

 草津には鏝絵があります。それを探して写真を撮るのも楽しみの一つでした。地図を見ながら探して歩くとありました。戸河内の鏝絵に比べて小さいのですが、屋根がついていて、繊細な表現で、題材も兎、牛、龍、獅子と多彩でした。
鏝絵 獅子
鏝絵 波の上を走る兎(屋根があり、繊細な表現)

鏝絵 兎 (赤い目がかわいい)

鏝絵 牛




鏝絵 龍(窪ませたところに造られている)

2013年9月20日金曜日

西国街道 己斐~草津間を歩く(3)

 草津の街につきました。小泉酒造の大きな建物が目につきます。明治18年に明治天皇行幸の時休憩所に利用されたそうです。この辺りに「大門」と呼ばれる関所の門があったようで、金具が伝わっているそうです。この小泉酒造の大きな建物の横を通り、草津八幡宮に行きました。ここも高い石段があります。189段あるそうです。この石段を上ると「飛躍」「避厄」のご利益があるようです。元気を出して上っていくと立派な社殿が建っていました。この神社は厳島神社とほぼ時を同じくして海路の守護神として多紀理姫命を祀ったのが創祀といわれています。八幡神の奉斎の時期については諸説あるが安芸の国では最も古い八幡宮の一つだそうです。
小泉酒造(明治18年に明治天皇行幸の休憩所に利用された。)

 草津八幡宮(かつて古江や草津は深い入り江となっており天然の良港であった。神武天皇や神功皇后の伝説が残っている。この神社は厳島神社とほぼ時を同じくして海路の守護神として多紀理姫命を祀ったのが創祀という。)

 草津八幡宮には高く急な石段を上らなければならない。189段あるという。「飛躍」「避厄」に通じると古くから言われており、上るとご利益がある縁起のいい石段。)

草津八幡宮の石段の踊り場は見晴らしがいい。

2013年9月19日木曜日

西国街道 己斐~草津間を歩く(2)

 己斐から草津まではおよそ4㎞の行程。天気が良すぎて少々暑いが頑張って歩いていると、道端に国道水準点がありました。気をつけていないと見落としてしまう大きさです。これがこの道がかつて国道であった証拠です。途中にあるお地蔵様を拝み、ところどころに古い家が残っている道を歩いていくと茶道「上田宗箇流」宗家の前に差し掛かりました。ここは浅野家の家老で武将茶人として名を馳せた上田宗箇の茶の家元です。道に沿って長い塀があります。この辺りが古江です。盆栽が家の周りにたくさん置いてある家や、花いっぱいの家などを見ながら歩いていくと草津の鷺森神社に着きました。この神社は弁才天を祀っています。今では想像もできませんが、かつてこの辺りは海浜で多くの漁船が出入りする港であったようです。
国道水準点(明治時代に主な国道の水準測量をして土地の高さを求めた基準点。この道が国道であった証拠)

西国街道沿いにある地蔵

上田宗箇流宗家の塀

鷺森神社(昔この辺りは海浜で、多くの漁船が出入りする港であり、弁才天を祀り豊漁と海上の守護を祈願した)

2013年9月18日水曜日

西国街道 己斐~草津間を歩く(1) 旭山神社

 9月17日、西国街道己斐~草津間を歩きました。台風の影響も去り絶好の散歩日和です。JR西広島駅から出発、先ず、西広島駅の北西の高台の上にある旭山神社に寄りました。長い石段を上ると立派な社殿がありました。この神社は1555年毛利元就が厳島の戦いの際、必勝祈願に訪れた時、ちょうど朝日が昇り、大いに士気が高まったことからこの神社を旭山神社と名づけたといわれています。 
JR西広島駅の北西側の高台の上に立つ旭山神社

高い石段を上る

旭山神社 原爆で本殿を除き社殿は屋根が吹き飛ばされ倒壊したが、昭和23年残った部材を使って修復された。
(被爆建物)
 

旭山神社はズッコケ三人組の花山神社のモデル

2013年9月17日火曜日

安芸太田町上殿の鏝絵(2)

 上殿の中でも地域によって鏝絵の図柄が違います。左官さんのテリトリーがあるのでしょうか。
恵比寿様(蔵には干し柿などをつるすための棒が取り付けられている)

鶴の図柄

亀と宝の文字

亀と月?太陽?