2017年7月31日月曜日

東広島市 龍王山に登る(1) 花が迫古墳群①

 「国郡志御用 郡辻書上帳 賀茂郡」という江戸時代の古文書を読んでいて、「火の釜の事」という項があり、当時の人が古代人の住居か蒙古襲来の時の火雨という火器を防ぐための防御施設ではないかとみていたものの形態がどうも古墳ではないかと思い調べてみると、どうも「火の釜伝説」のある古墳が東広島市憩いの森公園に残されているらしいので、龍王山登山を兼ねて行ってみました。龍王山の麓のこのあたりには花が迫古墳群といい古墳時代後期(1400年~1300年前)の13基の円墳が確認できるそうです。先ず一基は「日だまりの庭」という場所の一角にありました。


東広島市憩いの森公園

日だまりの庭


花が迫古墳群の中の一基

1400年~1300年前の横穴式石室をもつ円墳

昔の人は「火の釜」と言って古代人の住居跡か蒙古襲来の時の防御施設と考えていた


2017年7月30日日曜日

真夏の縮景園

 7月24日の縮景園です。濯纓池には舟が浮かんでいます。この時期あまり花は咲いていませんが、蓮の花が咲いていました。蝉しぐれの中を歩いていると、池端にカニが姿を現しました。



濯纓池に浮かぶ舟




蓮の花が咲いていた

セミ

池端にはカニも姿を現す

平成29年度 竜王公園夏祭り(2) 花火

 今年は腰を据えて花火の写真を撮ってみました。なかなかタイミングが合わず傑作は撮れませんでしたが、いろいろな種類の花火を撮ることができました。最後の9時まで粘っていましたが、最後の花火が上がった瞬間、大粒の雨が降ってきて、あわてて撤収。自動車の中でカメラをタオルで拭きました。ぎりぎりセーフでした。花火や竜王公園夏祭りの関係者の皆様お疲れ様でした。
花火1

花火2



花火3

花火4

花火5

花火6

2017年7月29日土曜日

バスに乗って動物園に行こうデー

 7月22日10時30分より、「バスに乗って動物園に行こうデー」があさひが丘連合自治会と安佐動物公園の共同企画、中国運輸局やバス会社などの協力で行われましたので、お手伝いに行きました。公共交通機関で来られた方は入園割引などを受けたり、バスに試乗したりすることができたりするというイベントです。暑い日でしたが、夏休みに入った子供連れの方々などが入園されました。私も動物公園に入ってお気に入りの場所を散策。暑いのでヒヒ山のヒヒは日陰で内緒話?レッサーパンダは屋内の木の上でぐったりして休んでいました。それもかわいいです。8月12日から9月3日までの土日に行われるナイトサファリの準備も進んでいました。夜は涼しくていいでしょう。今年はバスに乗って行ってみることにしました。
バスの展示・試乗会

運転手さんの帽子を被って運転席に座らせてもらえる

割引入園料で動物園に入れる(ヒヒは日陰で内緒話)

レッサーパンダは屋内の木の上でぐったり

ナイトサファリの準備が進んでいる

2017年7月27日木曜日

平成29年度 竜王公園夏祭り(1)

 7月22日(土)今年も広島みなと夢花火大会に合わせて、竜王公園夏祭りが行われました。屋台のうどんやかき氷等を食べたり、オカリナやウクレレの弾き語りの演奏、ベリーダンスを楽しんだりしながら8時から打ち上げられる花火を待つという祭りです。今年は天気も良く日程は進み、いよいよ花火が打ち上げられました。少し遠く、打ち上げの音は花火が見えてから随分後から聞こえてくるなど迫力はありませんが、心地よい夜風を感じながら花火を楽しむことができました。


オカリナの演奏


ウクレレの弾き語り

ベリーダンス

広島みなと夢花火大会の花火を観る

2017年7月26日水曜日

安佐北区 JR上深川駅周辺を歩く(3) 友光八幡神社~千法師と乳母の墓~中郡古道 

 昭和7年に奉納された玉乗り型の友光八幡神社の狛犬に見送られて、吉川興経の子千法師と乳母の墓に向かいます。JR芸備線の椎村山トンネル西口上を通って石段を上ると瑞垣に囲まれた千法師と乳母の墓がありました。興経だけでなく子どもや乳母まで皆殺しにするという非情なものだったことが実感できました。手を合わせてさらに坂道を上ると中郡古道がありました。中郡古道は毛利氏が広島城を築くため、吉田から広島に至る最短の道として整備したもののようです。
友光八幡神社狛犬(昭和7年奉納)


芸備線の椎村山トンネル西口上を渡る

石段を上る

千法師・乳母の墓

中郡古道

2017年7月25日火曜日

安佐北区 JR上深川駅周辺を歩く(2) 豊島(手島)兄弟の墓~友光八幡神社

 吉川興経の墓から興経家臣豊島五人兄弟の墓に向かいます。豊島五人兄弟(興信・満武・弘光・頼達・重康)は熊谷・天野の手勢に急襲された時奮戦しましたが、ことごとく討死または自害して果てました。墓は近くに散在していましたが明治18年(1886年)末裔の手でこの場所に五人兄弟墓として建碑したのだそうです。上深川駅をはさんで反対側に友光八幡神社があります。このあたり友光で家臣約20数名がことごとく殺害されたようです。


豊島(手島)兄弟の墓(興経の家臣豊島五人兄弟は奮戦むなしく討ち死した)

散在していた墓を明治18年子孫がまとめて建碑

友光神社参道石段

友光八幡神社社殿

2017年7月24日月曜日

安佐北区 JR上深川駅周辺を歩く(1) 吉川興経の墓

 7月15日 前から気になっていた吉川興経の墓がある安佐北区上深川を訪ねました。吉川興経は大朝の吉川家の当主でしたが、天文16年(1547年)毛利元就により隠居させられこの上深川に幽閉された上、天文19年(1550年)9月27日、毛利元就の命で熊谷や天野の手勢により急襲され命を落としました。胴はこの居館の位置に葬られ、首は小倉城の麓にある墓に埋葬されています。JR深川駅に降り立つと案内板が設置してありました。墓は駅のすぐ近くにあるようです。細い道に入っていくと墓は塀に囲まれてありました。すぐ近くに腹切石がりました。吉川家を乗っ取られた上このような形で殺された興経はさぞ無念だったことでしょう。


JR芸備線上深川駅

上深川駅周辺の案内図

吉川興経の墓(白い塀で囲まれている)


吉川興経の墓(この地に居館があり幽閉されていた)


腹切石吉川興経は奮戦の末この石の上で切腹したと伝えられている)

2017年7月23日日曜日

安佐北区 坊地ヶ峠を歩く(5)

 民家跡には石垣や石臼などが残されています。ここで確かに生活が営まれていたことがしのばれます。それから先は草が生え、道はけもの道のような細い道がわずかに通っています。通れるか心配しながら草をかき分け進むと、竹藪と崖の間の比較的通りやすい道になり民家が見えてきました。舗装道路を下ると、先日幕之内峠を歩いた時見た道標のある坊地ヶ峠の入り口に着きました。確かに幕之内峠より距離は短いものの急傾斜のある細い道でした。現在は自動車で幕之内トンネルを通って抜ければアッという間ですが、かつては飯室と可部の間はこの峠があるために、通行が困難であったことが実感できました。
民家跡の石垣

道はけもの道のようになっている

民家が見えてきた

坊地ヶ峠入り口の道標

2017年7月22日土曜日

安佐北区 坊地ヶ峠を歩く(4)

 坂道を上りきり木立を抜けると、広い草原になっており、少し高いところに鉄塔が建っています。ここが峠です。草叢の間から石垣が見られます。ここが茶屋があったところでしょうか。かつて茶屋があったころの写真は無いのでしょうか。石碑があるはずですが、見当たりません。可部側に下ります。しばらく下って行くと民家跡の石垣がありました。
木立を抜け坊地ヶ峠に着いた

峠一帯は草原となっていて鉄塔が建っている

石垣(茶屋跡?)

可部側への下り道

民家跡

2017年7月21日金曜日

安佐北区 坊地ヶ峠を歩く(3)

 源徳水神宮を少し過ぎたところには、獣捕獲用の罠が仕掛けられています。このあたり獣害が深刻なのでしょう。道は一段と峠道らしくなってきます。坂が急なところには石畳の痕跡が見られます。薄暗い森の中を道はどんどん進んでいきます。猪や鹿、熊に逢わないことを祈りながら上って行きます。


獣捕獲用の罠

峠道が続く

急な坂道には石畳の跡が見られる

森の中の峠道(猪、鹿、熊に逢わないことを祈りながら進む)