2022年10月31日月曜日

鞍馬寺の狛虎

 鞍馬寺では二対の狛虎に出会いました。鞍馬寺の本尊は護法魔王尊、毘沙門天、千手観世音菩薩の三尊が一体となって「尊天」として祀られています。毘沙門天の使いとして虎が大切にされているため、狛虎がいるようです。
                 狛虎①阿形
                  狛虎②吽形
                  狛虎③阿形
                 狛虎⓸吽形
 

2022年10月30日日曜日

鞍馬寺西門から入り仁王門に

 前回鞍馬寺に来た時は、仁王門から入り、西門から出て貴船神社にお参りしたのですが、今回は逆に西門から入り仁王門から出ます。義経が初めて鞍馬天狗に会い剣術修行したという僧正不動堂や義経堂、そして木の根道に寄り、本堂で手を合わせ仁王門に抜けました。長い石段がありいい運動になりました。
                鞍馬寺西門から入山
                 西門入口案内図
                僧正ガ谷不動堂
                   義経堂
                 木の根の道
                  仁王門
 

2022年10月29日土曜日

貴船神社から鞍馬寺へ

 貴船神社にお参りして、鞍馬寺に向かいます。貴船神社は全国にある貴船神社の総本社です。古くから水の神様として信仰を集めている神社です。この神社は絵馬の発祥の社と言われています。神木の桂の木は樹齢400年、樹高30mだそうです。
                 貴船神社参道
                 貴船神社社殿
              貴船神社は絵馬発祥の社
                  神木の桂
 

2022年10月28日金曜日

京都の街を歩く(3)

 京都最古、第一の遊里である上七軒を通って北野天満宮東門へ。閉門時間を過ぎていたので、境内には入れませんでしたが、2対の狛犬に会うことが出来ました。新しいのは平成25(2013)年に奉納されたもの、古いのは天保6(1835)年に奉納されたものです。北野天満宮には数多くの狛犬がいるそうなので、次回じっくり見て回ることにします。
                  上七軒
                北野天満宮東門
                 狛犬① 吽形
              狛犬② 阿形 平成25年奉納
                 狛犬③ 阿形
              狛犬⓸ 吽形 天保6年奉納
 

2022年10月27日木曜日

京都の街を歩く(2)



 今出川通りから少し小路に入ると出雲幸神社がありました。この神社は小さな神社ですが、案内板によると、創建は神代に始まり、平安京創建時(794年)桓武天皇により、皇都の東北の鬼門除け守護神として造営されたと言われています。日本最古の縁結びの神だそうです。境内には一対の狛犬がいました。奉納年は分かりませんでした。
                 出雲幸神社鳥居
                 出雲幸神社社殿
                 狛犬(阿形)
                 狛犬(吽形)
 

2022年10月26日水曜日

京都の街を歩く(1)

 夕食までに少し時間があったので、京都の街を少し歩いてみました。京都府立医科大学前にお土居跡がありました。お土居は豊臣秀吉が1590年に京都改造計画によって、洛中の四囲に築造された土堤です。今出川通りを歩くと大原口道標がありました。ここは交通の拠点で慶應4年(1868)地元の人達によって建てられたようです。裏通りにはいると古い木造家屋もあります。
                 お土居跡案内板
                  お土居跡
                  大原口道標
                  古い屋敷
 

2022年10月25日火曜日

京都大原三千院を訪ねて(2)かわいい石地蔵たち

 三千院の境内には子どもの姿のかわいい地蔵様があります。有清園の苔の絨毯でくつろぐ「わらべ地蔵」。私が好きな地蔵様です。そして律川沿いには「おさな六地蔵」が置かれています。今回初めて出会いました。中でも猫を抱いた地蔵様が気に入りました。
                 わらべ地蔵①
                 わらべ地蔵②
                おさな六地蔵①
                 おさな六地蔵②
                 おさな六地蔵③
                 おさな六地蔵⓸
                 おさな六地蔵⑤
                おさな六地蔵⑥
 

2022年10月24日月曜日

京都大原三千院を訪ねて(1)

 地域の山の仲間と京都を訪ねました。先ず向かったのは大原三千院。駐車場でバスを降りて大原女の小径を通って三千院へ。かなりの上り坂です。御殿門から院内に入ります。室内は撮影できませんが、お庭は撮影できます。聚碧園は客殿よりの池泉鑑賞式庭園で江戸時代の茶人金森宗和の修築と伝えられています。往生極楽院は寺伝では寛和二年(986)に恵心僧都源信が父母の菩提のため姉の安養尼と共に建立されたと伝えられています。
              大原女の小径を通って三千院へ
                御殿門から入る
                  聚碧園
                  往生極楽院
 

2022年10月22日土曜日

鳥取城跡を訪ねて

 鳥取城跡を訪ねました。まず迎えてくれたのは吉川経家公像です。吉川経家は秀吉の鳥取城攻略に抵抗した毛利の城将として派遣されたのですが、秀吉の兵糧攻めにあい餓死者が多く出たため、城内の人々の命を救うため、切腹しました。見事な武人として高く評価されています。江戸時代は鳥取藩32万5千石の池田氏の居城でしたが、残念ながら明治になって取り壊されました。しかし、立派な石垣が残されています。
                 吉川経家公像
                  鳥取城跡
                  西坂下御門
                  三階櫓跡
 

2022年10月21日金曜日

鳥取市で朝の散歩

 昨日、鳥取市で会議があり、今朝は鳥取市で夜明けを迎えました。天気が良いので朝早く散歩しました。鱗雲が出ています。袋川は江戸時代の初期池田光政が町を守る惣堀として掘削した川だそうです。袋川沿いに黒住教鳥取大教会所があり、その境内の片隅に荒木神社がありました。案内板によると寛永15年(1638)日本3大仇討ちの一つとして数えられる伊賀上野「鍵屋の辻」で有名な荒木又右エ門は、因幡池田藩に迎えられ、この地に屋敷を与えられたものの、わずか17日後亡くなったのだそうです。若桜街道の先に鳥取城跡が見えました。
                 夜明けの鱗雲
                   袋川
              黒住教鳥取大教会所
                  荒木神社
           若桜街道の向こうに鳥取城城山が見える
 

2022年10月19日水曜日

広島市南区宇品御幸通りを歩く(2)

 千田廟公園には千田貞暁像の他に正岡子規句碑が建っています。正岡子規は日清戦争に従軍記者として派遣されるとき、出港まで宇品に滞在しました。その時詠んだ句の一句です。少々読みにくいのですが「行かば我 筆の花散る 處まで」という句です。司馬遼太郎の「坂の上の雲」によると、正岡子規が体を壊してまで、悲壮な決意で大陸に渡ったのですが戦争はほとんど終わっていたようです。この句から大陸に渡る前の子規の決意の強さが伝わってきます。宇品は干拓によって造られたので御幸通りは住宅地より高くなっています。そこを明治天皇が通られたので御幸通りになりました。広島市郷土資料館はかつて陸軍の糧秣支廠で缶詰工場でした。原爆で一部は破損しましたが、倒壊はしませんでした。原爆投下後たくさんの被爆者が避難して来たそうです。現在は建物の一部の外観を残して、内部は鉄筋コンクリートの建物にし、広島市域の人々のくらしにかかわる歴史をテーマとした博物館となりました。特に牡蠣養殖や、宇品港についての展示は充実しています。
                 正岡子規句碑(表)
                正岡子規句碑(裏)
            御幸通りは住宅地より高くなっている
               広島市郷土資料館