2014年12月31日水曜日

広島駅南口B・Cブロック再開発工事NOW(13)

 12月27日の広島駅南口B・Cブロック再開発工事の様子です。着々と工事が進んでいます。今回はいろいろな角度から撮ってみました。 
 今日は大晦日、平成26年も今日で終わりです。平成25年1月から始めたこのブログもコンピュータの不具合でつながらなくなるなどトラブルがあり、ピンチもありましたが、皆様のご協力と健康に恵まれ、ほとんど休むことなく続けて更新することができました。来年もできる限り毎日更新を続けていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
広島駅南口B・Cブロック再開発工事(12月27日)

Bブロック東側のビルの一階はパチンコ店になるらしい。(北東側から撮影)

広島駅南口Cブロック再開発工事(東側から撮影)

広島駅南口Bブロック再開発工事(広島駅バス停から撮影)

2014年12月30日火曜日

原爆ドーム健全度調査

  相生橋を渡っていると、原爆ドーム全面に足場が組まれています。何の工事かと行ってみると、「原爆ドーム健全度調査」を行うための足場でした。健全度調査は広島市が原爆ドームの状態を把握するため、ドームのひび割れや沈下量などを調べるのだそうです。平成4年度から原則3年毎に実施しているそうで、今回8回目だそうです。
原爆ドーム健全度調査1

原爆ドーム健全度調査2

原爆ドーム健全度調査3

原爆ドーム健全度調査4

2014年12月29日月曜日

広島市南区東雲から青崎・向洋方面を歩く(5) 大原神社狛犬

 大原神社には二対の狛犬がいました。荒神社前に設置されているのは、古びて阿形の口の部分が欠けていますがとてもいい彫の狛犬です。調べてみると尾道の石工によって作られ、1825年に奉納されたもののようです。以前は拝殿前にありましたが、破損してきたので平成24年に新しい子連れ狛犬に座を譲ったのだそうです。新しい狛犬は中国製のようです。
狛犬阿形(口の部分が欠けている)江戸時代(1825年)のもののようだ。

狛犬阿形の尾の部分の彫りが美しい(尾道石工の技)

狛犬吽形(現在は荒神社の前に設置されているが、以前は大原神社拝殿前にあった。)

以前の狛犬が痛んだため平成24年に新しく奉納された。台座は以前のもので、形がユニーク。

この狛犬は子連れ狛犬(中国製)

2014年12月28日日曜日

広島市南区東雲から青崎・向洋方面を歩く(4) 大原神社

 向洋・青崎の氏神様大原神社に行ってみました。神社正面参道の石段下に長命井戸がありました。この水を飲むと長生きしたそうです。今でも井戸にはきれいな水がありました。石段途中には明治34年奉納の石鳥居があります。それをくぐって石段を上っていくと、まだ紅葉がきれいな葉をつけていました。石段を上りきると、立派な拝殿がありました。昭和61年に改装されたようですが、創立の歴史は室町時代にさかのぼるそうです。拝殿右には荒神社もあり、天狗の面が掛っていました。ちょうど神社の方と氏子の方がおられ、この地の漁師は対馬にも漁に出かけていたようで、神社の灯籠は対馬魚問屋が奉納しているなど対馬とかかわりが深いことなど興味深い話を伺うことができました。
大原神社石段下の長命水井戸(この水で長生きしたという)

井戸の底にはきれいな水がたまっていた

石鳥居(明治34年建立)

石段途中の紅葉はまだ葉を残していた

大原神社拝殿(昭和61年に改装された)

荒神社

荒神社にかかっていた天狗面

2014年12月27日土曜日

広島市南区東雲から青崎・向洋方面を歩く(3) 向洋本町・大原町

 八角堂から南に歩き、国道2号の下をくぐり、向洋本町、大原町の路地を歩いてみました。この辺りは、比治山の陰になり、原爆の影響が少なかったため、古い家が残っています。明治初期に建てられた白壁が美しい家や三階建ての蔵などがありました。港町として栄えた町の豊かさが伺えます。この地域は良い水が出たようで井戸がたくさんありました。今でも手押しポンプがありました。今でも使われているのでしょうか。この地が漁業で栄えた町であることを物語る魚貝藻碑や向洋牡蛎供養碑がありました。
明治初期の日本家屋 伊藤博文も訪れたという

三階建ての蔵

手押しポンプ

大森井戸

魚貝藻碑と向洋牡蛎供養碑(昭和52年建立 大原町)

2014年12月26日金曜日

広島市南区東雲から青崎・向洋方面を歩く(2) 仁保橋~青崎へ

 広島大学東雲キャンパス跡を過ぎ、仁保橋方面に歩いていくと、頭上は広島高速2号線が通り、東雲出入り口があり、とても便利の良いところになっています。仁保橋を渡って青崎方面に行きます。猿猴川の中にはカキ筏が見られます。東岸はマツダ本社工場が並んでいます。仁保橋を渡り東詰には六角堂がありました。明治後期、製塩業を営んでいた黒田弥吉郎氏が、朝鮮半島から仏像を持ち帰り安置されたものだそうです。灯台でもあったそうです。お堂の横には石亀もありました。
広島高速2号線東雲出入り口

仁保橋を渡る(川にはカキ筏、川岸はマツダの本社工場)

六角堂(仁保橋東詰)

堂の横には石亀が置いてある。

2014年12月25日木曜日

広島市南区東雲から青崎・向洋方面を歩く(1) 広島大学東雲キャンパス跡

 12月23日、広島市南区の東雲から青崎・向洋方面を歩いてみました。広島大学附属東雲小中学校の隣には、かつて広島師範学校、後の広島大学東雲キャンパスがありました。現在は東広島に移転して、その地には「しののめ教育の地碑」が建っていました。官立広島師範学校講堂(元広島大学学校教育学部講堂)の写真と移転前の昭和53年当時の航空写真が貼ってありました。  官立広島師範学校講堂は爆心地から4、11㎞の被爆建物でした。この建物は平成18年まで保存されていましたが、現在は取り壊されていました。現在の東雲キャンパス跡地は広いグランドと空き地になっていました。


広島大学附属東雲小中学校

官立広島師範学校講堂(元広島大学学校教育学部講堂) 爆心地より4、11㎞
平成18年まで保存されていた。

しののめ教育の地碑

昭和56年当時の広島大学東雲キャンパス

現在の広島大学東雲キャンパス跡

2014年12月24日水曜日

広島駅南口B・Cブロック再開発工事NOW(12)

 12月23日広島駅前を通ったので、南口B・Cブロックの再開発工事の様子を撮影しました。Bブロックの東側のビルはもう外観は出来上がったように見えます。東側はどんどん高さを増してきました。Cブロックのビル建築工事も地階か一階の鉄骨が組まれているように見えます。
広島駅南口Bブロック再開発工事(駅前大橋北詰めから撮影)

広島駅南口Bブロック再開発工事(東側のビルはもう外観は出来上がったように見える。)

西側のビルもどんどん高さを増してきた。

BブロックとCブロックの工事の様子

Cブロック(地階か1階部分の鉄骨が組まれているところだろうか。)

2014年12月23日火曜日

皇太子殿下御誕生(現天皇)奉祝行事の古写真

 今日は天皇誕生日。天皇は81歳の誕生日を迎えられました。私の父の遺した写真の中に皇太子殿下(現天皇)御誕生奉祝行事を写したと思われる写真がありました。知人に調べていただいたところ、どうも尾道市因島三庄町あたりの様子ではないかということでしたが詳細が分かりません。 調べてみると、この年、誕生を祝う歌が作られたり、全国各地で奉祝行事が行われたようですので、その一環行事だったのではないかと思われます。詳しいことをご存じの方がおられましたら教えてください。
皇太子殿下誕生奉祝行事

                   皇太子殿下御誕生奉祝行事集合写真1


皇太子殿下御誕生奉祝行事集合写真2

2014年12月22日月曜日

雪道の散歩

 12月22日今日は冬至。一年で最も夜が長い日。しかも今年は「朔旦冬至」といって、19年に一度の新月と重なる、(夕方のNHKの天気予報で言っていましたが、次の朔旦冬至は38年後だそうで、私は次の朔旦冬至は迎えるのはちょっと難しいでしょう)とてもめでたい特別の冬至らしいです。広島市安佐北区の団地では昨夜から続いて雪が降る寒い日となりました。しかし寒いと言って家に閉じこもってばかりもいられません。「雪の日には雪の日にしか見られない風景がある!」とカメラを持って外に出ました。団地から続く林道を歩くことにしました。谷では雪の中砂防ダム建設工事が進められています。団地を土砂災害から防ぐための工事です。私たちの命はいろいろな人たちの努力で守られていることを改めて感じます。林道は団地の人たちにとって絶好の散歩道です。車の轍に足を取られ転ばないよう用心して歩きます。途中もがれないで残された柿の実、雪ですっぽり埋まった畑を見たりしながら二時間半の撮影散歩をしました。いい運動になりました。
雪でも砂防ダム建設工事は行われている

林道は絶好の散歩道

木に残った柿に雪が積もる

畑も雪に埋まった

2014年12月21日日曜日

邇保姫神社近くの道標

 黄金山を下りバス停に向かう途中で、前回邇保姫神社を訪れたときは気が付かなかったのですが、邇保姫神社の近くの旧道に道標があることに気が付きました。大正二年四月に建てられたようです。
邇保姫神社近くの道標

         左 大河宇品港・重砲兵聯隊広島被服支廠・広島県立師範学校・広島県庁通
南 本浦観音寺・渕崎西福寺・向洋日宇那・仁保島村役場 通

右 広島駅・的場町 通

大正二年四月(1913年)建てられたようだ