2014年6月28日土曜日

可部をたずねて  福王寺(3)

 福王寺の裏にまわると金仙水がありました。銀山城初代城主武田氏信の供養塔もありました。その奥に空海が金の亀を見たという金亀池がありました。何か神秘的な池です。水面を見ていると、何か泳いで近づいてきます。よく見ると亀です。まさか・・・。しかし、金の亀ではなくニホンイシガメでした。
金仙水(弘法大師(空海)が加持に使われたという)

銀山城初代城主武田氏信供養塔(福王寺は武田氏とかかわりの深い寺)

金亀池(空海が金の亀を見たという)

向こうから何か泳いで来た。まさか・・・

金の亀ではなくクサガメのメスでした。

2014年6月27日金曜日

可部を訪ねて 福王寺(2)

 福王寺の仁王門には古びた仁王像があります。長年風雨にさらされ、かなり破損していますが、力強い彫りです。仁王門をくぐり石段を上ると、金堂がありました。この金堂は1977年落雷により焼失し1982年に再建されたものです。前に参拝したときは堂内にと伝わる空海作立木の不動明王像があったのを覚えています。現在は新しく安置された不動明王像の胎内に納められているそうです。広い福王寺の境内を歩くと汗が引いてとてもすがすがしい気分になりました。境内には広島市指定天然記念物の燈明杉がそびえ立っていました。かつては5本あったそうですが、今は3本になっています。枯れた木の切り株から新しい命が生まれていました。
福王寺仁王像阿形(かなり朽ちているが力強い)

金堂(1977年落雷により焼失1982年再建。内部にあった空海作と伝えられる立木の不動明王も焼けたため、新しく安置された不動明王像の胎内に納められている。)

鐘楼

広い福王寺の境内

燈明杉(かつては5本あったが、2本枯れ3本になっている。市指定天然記念物)

枯れた杉から新しい命が生まれている。)

2014年6月26日木曜日

可部を訪ねて 福王寺(1)

 30数年ぶりに福王寺にいってみました。寺伝によれば福王寺は811年ないし828年空海の開基といわれている古刹です。参道の途中にある駐車場まで自動車で行きました。駐車場から坂道や石段を上ります。途中モノレールが設置されています。寺への荷物の運搬に使われるのでしょう。参道の所々では石仏が迎えてくださいます。やがて、古びた仁王門が見えてきました。この仁王門は安土桃山時代毛利氏の保護下にあった頃建てられた、福王寺最古の建物だそうです。
福王寺駐車場からの入口

車が入らないので寺への荷物を運ぶためのモノレールが設置されている。

福王寺への石段が続く

やがて仁王門が見えてくる。

福王寺仁王門(毛利氏の保護下にあった時の福王寺最古の建物)

2014年6月25日水曜日

広島駅南口B・Cブロック再開発工事NOW(7)

 6月24日久しぶりに広島駅方面に行ったので、南口B・Cブロックの再開発工事の様子を見てみました。Bブロックは順調にビルの鉄骨が高くなっています。Cブロックは元の建物はすっかりなくなり、基礎工事が進められていました。
広島駅南口Bブロック再開発工事(6月24日現在)

広島駅南口Bブロック再開発工事(6月24日現在)鉄骨がどんどん組み上げられている。
広島駅南口Cブロック再開発工事(6月24日現在)元の建物はすっかりなくなり、基礎工事が進められている。

広島駅南口B・Cブロック再開発工事(6月24日現在)やがて、向こうの山がビルに隠れて見えなくなるだろう。


広島駅南口Bブロック再開発工事(6月24日現在)

2014年6月24日火曜日

可部を訪ねて 鉄桶・鉄灯籠

 下の浜明神社の社殿の前に用水桶が二つあります。よく見ると鉄の鋳物です。可部の鋳物工場が昭和43年に奉納したようです。神社の前の道を挟んで向かいにある明神公園には鉄灯籠がありました。説明板によると文化5年(1808年)に三宅惣左衛門によって鋳造されたもので細部の技巧も優れています。この地が川船の発着場だったことから、当時は毎晩灯が灯され人々に親しまれてきたようです。可部は昔から鋳物づくりのさかんな町です。探してみると可部の鋳物製品がまだいろいろなところにありそうです。
鉄製の用水桶(昭和43年奉納)

かわいいカエルが支えている。

明神公園にある鉄灯籠文化5年(1808年)鋳造 地元の人々に「船神さん」として崇拝されてきた。

精巧な造り(広島市指定重要有形文化財)

2014年6月23日月曜日

可部を訪ねて 下の浜明神社の親子狛犬

 久しぶりに可部の旧道を歩いてみました。まず向かったのが下の浜明神社です。下の浜明神社は太田川船運の守護神として厳島明神を祭っています。親子狛犬がいると聞いたので会いに行きました。いましたいました、阿形も吽形も一匹ずつ子狛を連れています。吽形の方の子狛は玉にしがみついて親狛に何かねだっているいるようです。口を開けています。阿形の方の子狛は玉の上に乗って厳しい目で何かをにらんでいます。歯を食いしばっているようです。 この神社の狛犬は阿形の方がお父さんのようです。親と子の口がそれぞれ逆になっているのがおもしろいと思いました。
安佐北区可部 下の浜明神社

狛犬吽形

吽形の子狛は阿形(愛嬌のある顔つき、お母さんになにかねだっているよう。)

狛犬阿形

阿形の子狛は吽形(厳しい目つき、歯をくいしばっている。)

2014年6月22日日曜日

京都を訪ねて 高雄・槇尾・栂尾 三尾を巡る 神護寺(3)

   神護寺金堂では本尊の薬師如来立像や十二神将、四天王などたくさんの仏像を拝観することができました。仏像は撮影禁止です。お寺の方に聞くと、十二神将は十二支になっていて、∞の形に並んでいることや、2体だけ後に補われたものがあることなど丁寧に教えてくださいました。有名な源頼朝像の絵の模写もありました。あの絵は神護寺のものだったのですね。初めて知りました。  金堂の横に回り石段を上ると、多宝塔があります。弘法大師が自ら掘られたという閼伽井(あかい)を巡り、地蔵院にいくとかわらけ投げをやっていました。厄除と刻印してある、かわらけを谷に向かって投げると厄が落ちるそうです。2枚で100円です。売っている人によく飛ぶ投げ方を聞くと、親切に実演して見せてくださいました。やってみると、肩に力が入り、近くに落ちてしまいました。残念がっていると、別の投げ方を教えてくださりもう1枚サービスしてくださいました。今度は遠くまで飛んでいきました。すっきりしました。今日の目的達成です。上ってきた石段を下りていると硯石がありました。弘法大師がこの石を硯にして対岸に立てかけた額に向かって投げ「金剛定寺」の4文字を書いたということです。
神護寺金堂

神護寺多宝塔

閼伽井(空海が灌頂の浄水として使用するために自ら掘ったと伝えられる井戸)

かわらけを投げる谷(この谷に向かってできるだけ遠くにかわらけを投げると、厄が落ちるらしい。やってみるとなかなか難しい。

硯石(空海はこの石を硯として、対岸に立てかけた額に向かって投げ「金剛定寺」の文字を書いたという。

2014年6月21日土曜日

京都を訪ねて 高雄・槇尾・栂尾 三尾を巡る 神護寺(2)

 神護寺の境内を歩きました。静かな境内で落ち着いたたたずまいの伽藍を廻っていると肩の凝りがどんどんとれていくような気がしました。
明王堂(本尊は平安時代後期の作 扁額は七代目市川團十郎の揮毫)


大師堂 国重要文化財

毘沙門堂 元和9年(1623年)建築

地蔵院

2014年6月20日金曜日

京都を訪ねて 高雄・槇尾・栂尾 三尾を巡る 神護寺(1)

 川床料理を堪能し、元気が出たので、神護寺の長い石段を上ります。お店の人の「350段あるからがんばって!」の声に励まされて上り始めました。最初は段の数を数えていましたが、写真を撮ったりしているうちに分からなくなりました。石段の石がすり減っています。「これまで何人の人がこの石段を上ったのか。空海もこの石段を上り下りしたのか。」そんなことを考えながら上っていく内に神護寺の楼門に着きました。神護寺は和気清麻呂が建立した「神願寺」と「高雄山寺」という2つの寺院が天長元年(824年)に合併してできた寺だそうです。空海も一時期住んでいた寺です。楼門をくぐると広い境内にいろいろな伽藍が建ち並んでいました。

 神護寺へ続く長い石段(楼門まで350段あるという。最初は数えていたが途中で写真を撮っていて数えられなくなった。石はすり減っている。いままで何人の人がこの石段を上ったのだろうか。)

やっと楼門に着いた。元和9年(1623年)建立

和気公霊廟(神護寺の前身の神願寺は和気清麻呂により建てられた。)

鐘楼 元和9年(1623年)建立 

2014年6月19日木曜日

京都を訪ねて 高雄・槇尾・栂尾 三尾を巡る 清滝川

 高雄には清滝川が流れています。せせらぎの音を聞きながら、新緑の道を気持ちよく歩いて行くと丁度昼になったので、清滝川沿いにある店で昼食をとることにしました。せせらぎの音やカジカの鳴き声を聞きながら川床料理をとてもおいしくいただきました。お店の人に聞くと、この時期は夜はほたるが飛ぶのを見ながらの食事が楽しめるそうです。
指月橋から見た清滝川

高雄橋から見た清滝川(川床料理の店が川沿いにある)

せせらぎの音やカジカの鳴き声を聞きながら川床料理をいただく

2014年6月18日水曜日

京都を訪ねて 高雄・槇尾・栂尾 三尾を巡る 西明寺

 赤い欄干が緑に映えて美しい指月橋を渡って西明寺に向かいます。また石段を上ると表門に着きました。門前に立っている説明版によると、天長年間(824~834年)に弘法大師の高弟 智泉大徳が神護寺の別院として創建したと伝えられる寺です。現在の本堂は徳川綱吉の生母桂昌院の寄進により元禄13年(1700年)に再建されたと伝えられているそうです。苔むした灯籠や宝篋印塔がある趣のある境内を歩いていると柱の上に馬が乗っている石の塔がありました。ライオンが乗っているアショカピラーに似ているが馬は見たことがないので帰ってネットで検索してみると「狛犬ネット」というサイトに大正時代の始め頃小松寅吉という石彫の名人により制作された「阿育王の柱」と書かれていました。阿育王はアショカ王ですからアショカピラーはライオンだけではなかったのですね。勉強になりました。
清滝川に架かる指月橋

西明寺表門(1700年建立京都市指定有形文化財)

西明寺境内(苔むした石灯籠や宝篋印塔)

西明寺本堂(1700年桂昌院の寄進により再建)

西明寺庫裏

 庫裏の横に建っている不思議な馬の塔 アショカピラーに似ているが柱頭はライオンではなく馬??(ネットで検索してみると「狛犬ネット」というサイトにこれは小松寅吉という人が制作した「阿育王の石柱」だと書いてあった。)