2025年3月30日日曜日

三原市佐木島を歩く

 団地の山登りの会のメンバーで三原市の佐木島のウォークをしました。団地の桜より少し早く花が咲いていました。特に塔の峰の桜は見事に咲いていました。向田港の近くの海に満潮になると半分上半身が海に沈む地蔵がありました。案内板によるとこの摩崖仏は正安2年(1300)仏師念心によって彫られようです。
さぎしまがいどまっぷ
菜の花とソメイヨシノ          
塔の峰からの眺め
               
 
               摩崖仏地蔵菩薩

2025年3月29日土曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(19)金谷坂

 金谷坂の石畳を下ります。この石畳は江戸時代に幕府の命により助郷により旅人が歩きやすいよう山石を敷き並べたものといわれています。近年は30m程しか残されずコンクリート等で舗装されていましたが、平成3年、町民約600人の協力を得て延長430mが復元されたようです。滑らないよう気を付けて下ります。途中「すべらず地蔵」という六角の小堂があります。受験生等の信仰を集めているようです。旅人が旅の安全を祈ったという庚申塔三猿を拝み、麓に着き金谷大橋跡の橋を渡りました。そこは金谷宿の西の入口です。今回の東海道五十三次ウォークはここまで。来月はここからスタートします。
                 金谷坂入口
 
            
急な石畳を滑らないよう気を付けて下る
             石畳六角堂地蔵尊(すべらず地蔵)
       
                  
庚申塔三猿
             金谷大橋(西入口大橋)跡
      

2025年3月28日金曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(18)諏訪原城跡

 菊川坂の峠付近にある諏訪原城跡を見学しました。諏訪原城は天正元年(1573)に武田勝頼が臣下馬場美濃守氏勝に作らせた山城です。自然を巧みに利用した堀切や、復元された二の曲輪北馬出の門などを見ることができました。又ビジターセンターでは諏訪原城の当時の様子を証言した模型も見ることが出来、当時の様子をイメージすることができました。
                 諏訪原城跡碑
 
                   
堀切
             二の曲輪北馬出の門(復元)
          
                諏訪原城模型
   

2025年3月27日木曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(17)菊川坂

 昼食後、いよいよ菊川坂を登ります。急な石畳を転ばないよう気を付けて上ります。菊川坂は平成12年の発掘調査により、西側上り口から161mは、江戸時代後期の石畳と確認され、平成13ねんに「石畳菊坂助郷伝説」として市民の手により、611mが復元されたようです。石畳復元に助力似た人々の名前が道脇に掲示されていました。やっと峠近くになると茶畑が広がっていました。
                 菊川坂登り口
 
               急な石畳の道を登る
               石畳の復元に助力した人々
   
              峠付近は茶畑が広がっている

2025年3月26日水曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(16)間の宿菊川

 小夜の中山の峠付近に久延寺があります。この寺は真言宗の寺で、本尊は子育て観音と称され「むかし住職が、山賊に殺された妊婦の子を育て、成長した子は親の敵を討つことができた。これはひとえに本尊の加護によるものであるということで、子育て観音と言われるようになった」といういわれがあるようです。この寺には夜泣き石や山内一豊が上杉景勝討伐に向かう徳川家康をもてなしたという茶亭跡があります。そこから坂を下ると間の宿菊川二着き、地元の観光ボランティアの方の説明を聞きました。承久の変で敗れ鎌倉に送られる途中の藤原宗行の詩碑や100年後の正中の変で敗れ鎌倉に送られる途中菊川で宗行をしのんで詠んだ日野俊基の歌碑が建っています。大きな案内板もあります。
久延寺
夜泣き石
        
              間の宿菊川案内板と歌碑
               間の宿菊川の案内板

           
 

2025年3月25日火曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(15)小夜の中山③ 峠の茶屋の子育て飴

 小夜の中山は和歌集」以来、歌枕として数多くの歌に詠みこまれて来ました。江戸時代になると旅人を相手に「飴の餅」を売る茶店が多くあったようです。「飴の餅」はつきたての餅に水飴をかけて、椀に入れて箸で食べたようです。昔の旅人もきっと疲れが取れたことでしょう。水飴はもち米と麦芽を原料につくられていて、夜泣き石の伝説にちなんで生まれた「子育て飴」は優しい甘さで美味しかったです。
               小夜の中山 峠の茶屋
                子育て飴の看板      
               水飴を箸に絡ませる
                     
                  子育て飴

2025年3月24日月曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(14)小夜の中山②

 歌川広重の版画の「日坂」石碑があります。日坂は小夜の中山を登る人々の姿を描いています。小夜の中山はかつては物騒な場所であったようで、妊婦がこの地で賊に襲われ命を落としたが、お腹の子は助かった。しかしその後大きな石にこの妊婦の霊が移り、夜ごと泣いたという「夜泣き石」があった場所です。現在は他の場所に移されています。芭蕉は馬に乗ってのの小夜の中山を越えたようで、「馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり」という句を遺しています。見渡すかぎりの茶畑の向こうに「茶」とい、う文字が書かれた山が見えます。小夜の中山の一里塚がありました。
               歌川広重の版画(日坂)
 
                 
夜泣き石跡
                  芭蕉句碑
         
             
茶畑の向こうの山に「茶」の文字
               小夜の中山一里塚跡
 

2025年3月23日日曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(13)小夜の中山①

  弘法大師が杖を突くと、清水がわき出したという伝説の井戸を通り、いよいよ坂道の続く小夜の中山を登ります。歌川広重も小夜の中山を登る人々の版画を残しています。小滝の中の急坂を登ると、少し勾配が緩やかになり、道脇に茶畑が広がる中の道を登ります。

                  弘法井戸
                歌川広重の版画「日坂」
      
               木立の中の坂道を登る
              茶畑の間の坂道を登る
     

2025年3月21日金曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(12)日坂宿②

 日坂宿の旅籠川坂屋は身分の高い武士などが宿泊した脇本陣格で明治3年まで営業していたようです。萬屋は庶民が宿泊した旅籠です。藤文は万延元年(1860)から慶應3年(1867)にかけて江戸時代最後の問屋役を務めた伊藤文七邸跡です。内部に入ると広い板の間と畳の間がありました。日坂宿駕籠駅伝大会のポスターが貼ってあります。何と今日(3月9日)本陣跡をスタートに開催されるようです。見たかったのですが、先を急ぐので観戦することはできませんでした。 
                    川坂屋
 
                    萬屋
                   藤文
         
藤文内部
駕籠駅伝大会ポスター
                  
                    
              本陣跡で行われる駕籠駅伝大会

2025年3月20日木曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(11)日坂宿①

 東海道ウォーク3日目。昨日のゴール地点の事任八幡宮から日坂宿に向かいます。坂道になり、日坂宿の看板があります。続いて日坂宿高札場跡があります。高札の内容は、日坂宿が幕府領であった為、公儀御法度が中心で、掲げられている8枚は「東海道宿村大概帳」の記録に基づき天保年間の物が復元されているということです。旅籠跡等古い建物が残る日坂宿の街並みを歩きます。
              事任八幡宮から日坂宿に向かう
 
                 日坂宿看板
                日坂宿高札場跡
     
             古い建物が残る日坂宿の町並みを歩く

2025年3月19日水曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(10)事任八幡宮

 内陸部にもかかわらず、この辺りの川に潮泉が湧き出る塩井があり、その塩水で事任八幡宮のお清めをしたという塩井神社を過ぎ、2日目のゴール地点の事任八幡宮に着き宮司さんの神社の由緒等の話を聞きました。事任神社は社伝によると大同2年(807)に桓武天皇の勅命により坂上田村麻呂が遷座したと伝えられており「枕草子」には「言のままの明神、いと頼もし」と書かれているそうです。「願い事がそのまま叶う」という神社で、多くの旅人が立ち寄り、旅の安全や願い事成就を祈願して来た神社です。この神社には御神木の楠と本殿奥の大杉が市の天然記念物に指定されています。
                   塩井神社
 
                事任八幡宮表参道
事任八幡宮社殿
御神木の楠(市天然記念物)
            
                大杉(市天然記念物)
    
        

2025年3月18日火曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(9)掛川宿から日坂宿に向かう

 大手門は平成7(1995)に復元された掛川城の楼門です。逆川沿いに桜の花が咲いていました。河津桜とは違うので、聞いてみると掛川桜だそうです。東海道の東から掛川宿に入るには、新町の木戸跡から木町番所跡を経由し七曲がり道を通らなければなりません。有事の際の敵の進入を遅らせる効果を狙ったものです。葛川一里塚は江戸時代には増田村にあったもので、天保8年の記録では松が植えられていたようです。伊達方一里塚は天保14年の記録によると榎が植えられていたようです。


                   掛川城大手門


                  掛川桜
                   七曲がり
         
                  葛川一里塚
  
                 伊達方一里塚