2025年11月30日日曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(11)藤沢宿①

 大山道道標からさらに東に進むと道端におしゃれ地蔵が安置されていました。女性の願い事なら何でも叶えてくださる地蔵さまで、願いごとが叶うと白粉を塗ってお礼をするのだそうで、顔に白粉が塗られていました。こてはどう見ても双体道祖伸なのですが、この地では地蔵としてまつられているようです。さらに進むと藤沢宿京見附跡がありました。ここが藤沢宿の西口です。白旗神社に参拝しました。この神社は源義経を祭っています。
                 おしゃれ地蔵
 
                藤沢宿京見附跡
                 白旗神社に参拝
                  白旗神社拝殿
     
    

2025年11月29日土曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(10)

 茅ヶ崎市役所前広場には加山雄三像が立っていました。昨年の4月11日の加山雄三87歳の誕生日に除幕式が行われたのだそうです。茅ヶ崎一里塚は日本橋から14番目の一里塚です。松並木が残されています。この松並木は安藤広重が東海道五十三次に描いています。
                                                                     加山雄三像
 
             茅ヶ崎一里塚(日本橋から14番目)
                   松並木
              広重の茅ヶ崎の松並木の絵

       

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(9)

 

 東海道歩き3日目。よく晴れています。昨日ゴールした平塚宿からスタートします。平塚之デザインマンホールがありました。平塚はたなばたが有名なようです。相模川端に来ると旧相模川橋の橋脚がありました。関東大震災の時表出した鎌倉時代に相模川に掛かっていた橋の橋脚です。本物は地中に埋めてあり、見えるのはその上に置かれた精巧な複製品だそうです。橋の上から富士山が見えました。
                                            平塚のデザインマンホール
                旧相模川橋の橋脚碑
               旧相模川橋の橋脚(複製品)                                

                富士山が見えた

2025年11月27日木曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(8)平塚宿 

  平塚宿に着きました。シャッターに広重の絵が描かれていますが、本陣跡も建物は残っておらず、案内板だけです。江戸口見附跡は石垣が残されていました。

                  平塚宿碑
            平塚宿の絵がシャッターに描かれている
                 平塚宿本陣跡
  
                                                                 江戸口見附の跡


2025年11月26日水曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(7)大磯宿 

 大磯は平安時代は相模国府が置かれ、鎌倉時代は鎌倉の近郊として発展した街です。湘南という地名も大磯が発祥と言われ、湘南の地碑が立っていました。大磯宿には問屋場の案内板は立っていますが、建物などは残っていませんでした。明治24年創業というお菓子屋さんの老舗「杵新」がありました。島崎藤村や吉田茂がひいきにしていたという名物の西行饅頭を食べてみました。餡がおいしかったです。
                湘南発祥の地碑
 
大磯宿南組問屋場
老舗「新杵」明治24年創業
               名物「西行饅頭」
                 餡がおいしい

                

2025年11月25日火曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(6)明治記念大磯庭園

 

 明治記念大磯庭園に立ち寄りました。大磯には伊藤博文をはじめ明治政界の要人たちが集まり、別荘や邸宅を築いたことから「政界の奥座敷」と呼ばれるようになったということです。今回は陸奥宗光別邸跡と旧大隈重信別邸を見ました。陸奥宗光別邸は、陸奥宗光が明治28年に病気療養のために建てた邸宅ですが関東大震災で一部倒壊し現在の日光市に移築されたよです。現在の建物は古河虎之介により昭和5年に建てられたものです。旧大蔵重信別邸は、大隈重信が明治30年に別邸として購入し、増改築した邸宅です。どちらの建物も日当たりの良いガラス張りの廊下から広い庭が眺められるようになっています。
             陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸
            日当たりの良い廊下から庭が眺められる
       
              旧大隈重信別邸・旧古河別邸
               ガラス張りの廊下
     

2025年11月24日月曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(5)

 二日目は大磯からスタートしました。国府本郷一里塚跡に来ました。ここが江戸日本橋から十七里です。標識がありますが、実際の一里塚の位置は200m江戸寄りであったようです。大磯城山公園に旧吉田茂邸があります。吉田茂が昭和20年から本邸として晩年を過ごした建物です。火事で焼失したため再建された建物ですが、室内の見学をしました。吉田茂の愛用の品なども展示されていました。雲がかかって見えませんでしたが、吉田茂は二階の窓から見える富士山を見るのを楽しんでいたようです。バラ園にはきれいなバラが咲いていました。
                                                            国府本郷一里塚跡(江戸から17里)
 
                  吉田茂
旧吉田茂邸
応接間
                   
      
                 バラ園のバラ

2025年11月23日日曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(4)

 塩海の名残の標識がありました。二宮では海水からの製塩が行われていた名残です。座問答の標石がありました。案内板によると、かつて大化改新により相武の国と磯長の国が統合されて相模の国になったとき、それまでの両国の一之宮の寒川と川匂とが新しい国の一之宮の座を巡って争い、互いに譲らなかったため、見かねた比々多と前鳥・平塚八幡宮が「いずれ明年まで」といって仲裁し円満解決したという故事をもとに儀礼化したものだそうです。先送り解決という、いかにも日本的な解決方法ですが、すぐに戦争という形で決着をつけるより良いと思いました。少し暗くなったころ松並木を歩いて1日目のゴールでした。
                                                                    塩海の名残
 
                 座問答の標石
              座問答の標石の案内板
        
             松並木を歩いて1日目のゴール

2025年11月22日土曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(3)


  国府津駅の手前に親鸞聖人御庵室御勧堂碑がありました。親鸞聖人はここに草庵を結び七年間布教されたそうです。国府津駅に立ち寄りました。この駅に蒸気機関車の絵が展示されていました。この駅の開業費は明治20年7月11日で、東海道線の横浜駅から国府津駅間が開通すると共に開業したようです。国府津駅を少し過ぎると男女双体道祖神と坂下道祖神がありました。道路拡張などのために、この地に集められたのかもしれません。続いて車坂の案内板がありました。この辺りは相模湾を一望する景勝地であったようで、太田道灌や源実朝、阿仏尼の詠んだ歌が案内板に書かれていました。 

                           

                                                親鸞聖人御庵室御勧堂碑 

                国府津駅の絵
               男女双体道祖神と坂下道祖神
     
                    車坂

2025年11月21日金曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(2)デザインマンホール

 東海道を歩くとデザインマンホールも気になります。その地域の名産や名所などが凝縮されているから見逃せません。
小田原駅前で


二宮で
         
                   大磯で        
 
                 神奈川県空気弁

2025年11月18日火曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(1)

 11月14日から16日まで東海道五十三次小田原から藤沢宿まで歩きました。小田原駅までの新幹線の車窓から雪を冠った富士山がきれいに見えました。小田原駅では北条早雲像が迎えてくれました。小田原駅から前回のゴール地点にバスで行き、東京に向けて歩き始めました。所どころに松並木が残っている道を歩きます。東京まで82㎞と書かれた案内板が見えます。もう少しでゴールの江戸日本橋です。「従是大山道」と書かれた道標がありました。大山信仰の盛んだった江戸時代の人々はこの道を通って大山詣りをしたようです。
頭に雪を冠った富士山
                 北条早雲像               
                所どころに残る松並木 
                 東京まで82㎞

               大山への分かれ道の道標


2025年11月13日木曜日

広島市郷土資料館の民具

 昨日は広島市郷土資料館に行きました。きれいなレンガ造りのたてものです。明治の建物は趣があります。展示物で漁業にかかわるものに注目してみました。竹を編んだ大きなざるはドウマルといって、とれた魚を生かして市場に送るための生け簀です。マイラはイワシをゆでて干し、イリコにするためのざるです。
               レンガ造りの郷土資料館
                 胴丸(生け簀)

                  マイラ