2017年2月16日木曜日

尾道市瀬戸田町を訪ねて(2) 瀬戸田港~生口神社~向上寺①

 生口島の瀬戸田港に着きました。港の待合室でかわいいぬいぐるみ人形とお雛様が出迎えてくれました。いよいよ散策開始です。先ず向かったのは向上寺です。途中、生口神社の石段が見えます。石段があると反射的に上りたくなります。参道脇に古い井戸があり、その脇に地蔵様があります。この島では水が貴重だったことがわかります。井戸脇から猫が姿を現しました。
瀬戸田港に到着

港の待合室ではぬいぐるみ人形とお雛様がお出迎え

神社

井戸と地蔵様

猫が姿を現した

2017年2月15日水曜日

尾道市瀬戸田町を訪ねて(1)三原駅~三原港

 2月13日、思い立って尾道市瀬戸田町に行ってみました。三原駅でJRを降りると、私の住む広島市北部の団地は雪が降っていましたが、三原市は良く晴れていました。駅前には2月10日~12日まで開かれていた神明市のために立てられた「神明御山」という大とんどが立っていました。三原港に行くと、大きなプロペラが設置されていました。自動車を5000台も載せることができる大きな船に使われるプロペラのようです。三原城築城450年を記念して三原市の更なる発展と繁栄を願って三原市に造船会社から寄贈されたようです。「世界へはばたく三原」のプレートが付けられています。まだ周囲の工事をしていました。これから高速船に乗って瀬戸田港まで行きます。
三原駅前の「神明御山」の大とんど

三原港のプロペラ(三原城築城450年を記念して設置された)

「世界へはばたく三原」を願って

三原港から高速船で瀬戸田港に向かう

2017年2月14日火曜日

雪の山県郡北広島町上本家(旧石橋家)住宅

 2月12日、雪が降ったので北広島町の上本家(旧石橋家)を訪ねてみました。江戸時代末期の茅葺住宅は雪に覆われていました。軒先の長いつららが印象的でした。
雪の上本家(旧石橋家)住宅①(江戸時代末期に建てられた茅葺住宅)

雪の上本家(旧石橋家)住宅②

雪の上本家(旧石橋家)住宅③

軒先に長いつらら

2017年2月13日月曜日

安佐北区三田 中郡古道を歩く(7)吉永明神社

 今回最後に訪問したのは吉永明神社です。吉永明神社は12世紀に厳島神社に寄進され、別名厳島神社といい、かつては管弦際も行われていたそうです。境内には年貢減免を実現した義民大坪彦兵衛の碑が建っていました。台石には盃状穴が見られました。狛犬に見送られ吉永明神社を後にしました。これで今回の中郡古道ウォークは終わりです。「ひろしま歩け歩け協会」発行の完歩証をいただきました。雨が降り寒い日のウォーキングでしたが、「ひろしま歩け歩け協会」と「三田郷土史研究会」の方にお世話になり、気持ちの良い一日となりました。感謝!
 
吉永明神社の拝殿と本殿(12世紀に厳島神社に寄進され、別名厳島神社という)

年貢減免を実現した義民 大坪彦兵衛の碑(盃状穴が見られる)

狛犬(阿形)

完歩証をいただいた

2017年2月12日日曜日

安佐北区三田 中郡古道を歩く(6) 案山子→松が浜墓→轟の瀬→吉永中郡古道

 久保浜湊を過ぎ、しばらく進むと畑に人が見えます。近づいてみると案山子です。良くできています。夜いきなり出会うとびっくりしてしまいそうです。「松ヶ浜」の墓がありました。「松ヶ浜」は享保2年(1717年)藩主浅野吉長に抱えられていた相撲取りです。墓は天保7年(1836年)に建立されたものです。しばらく進むと「轟の瀬」という三篠川の中に岩がたくさんあるところにきました。ここはとても舟が通れそうもありません。当時は舟の通り道を他に造っていたようです。ここで道は川から離れ吉永中郡古道に入りました。石垣が古道の面影を残しています。


案山子さん「こんにちは」

江戸時代の相撲取り「松ヶ浜」の墓

轟の瀬

吉永中郡古道(古道の面影を残す石垣)

2017年2月11日土曜日

安佐北区三田 中郡古道を歩く(5) 柳原神社・久保湊

 昼食後再び上三田駅方面に向かって出発。有難いことに雨が止みました。鎌倉時代創始と伝えられる柳原神社を通ります。古い土塀のある家の脇を通って久保浜に向かいます。久保浜に着きました。案内板によると久保浜は元禄3年(1690年)に開設され大正4年(1915年)に芸備線ができるまで、川舟の中継湊として栄えたところです。舟で上流から下ってきた年貢米や割木、木炭、鉄などの荷物をこの湊で三田舟に積み替え、上深川村の溝手浜まで運び、深川舟に積み替えて広島まで運んだようです。久保湊跡には紅梅や白梅が咲いていました。
柳原神社

古い土塀のある家の脇を通る

久保浜跡

三篠川久保浜跡の紅梅

三篠川久保浜跡の白梅

2017年2月10日金曜日

安佐北区三田 中郡古道を歩く(4)中三田駅あたり

 中三田駅前の楢崎圭三が建設した道を通ります。三田小学校前の三篠川に滑ら石と言われる、川の流れで表面が滑らかに削られた岩があります。この岩は川舟が通れるように溝を掘ってあるそうですが、今回は水が多くて見えませんでした。日清戦争から太平洋戦争までに三田村で出征して亡くなられた人々と勤労学徒として広島に動員されて原爆で亡くなった人々の冥福を祈るために建てられた慰霊碑がありました。昼食を摂るために立ち寄った三田集会所の庭に久保問屋米蔵の石棟がありました。江戸時代、高田郡16か村の年貢米をここに集荷し川舟で深川に中継していたようです。当時の繁栄ぶりが伺えます。
楢崎街道(中三田駅付近)

滑ら石(一部川舟の通い路の遺跡がみられる)

戦争や原爆で亡くなった人々の慰霊碑

米蔵の石棟