2025年12月31日水曜日
大晦日の荒谷林道
2025年12月30日火曜日
2025年12月29日月曜日
12月下旬の荒谷林道(2)
2025年12月28日日曜日
広島市中心部のデザインマンホール
2025年12月27日土曜日
団地入居開始50周年思い出写真展の準備
2025年12月26日金曜日
2025年12月25日木曜日
2025年12月23日火曜日
12月22日の縮景園(1)
モミジの葉がほとんど落ちている
落ち葉も美しい クコの赤い実
東海道五十三次藤沢宿から川崎宿まで歩く(9)
12月14日は神奈川宿を歩きました。幕末の開港以来、寺がアメリカ領事館やフランス公使館などになったようです。生麦事件が発生した場所も街道沿いにありました、この時殺害されたリチャードソンの遺体が当時のアメリカ領事館であった本覚寺に運び込まれ、ヘボン式ローマ字を伝えたヘボンが傷口を縫合したのだそうです。途中映画のロケで使われる国道駅のアーチの中を歩いていくと出口のところに米軍が落とした焼夷弾の痕が残っていました。川崎宿に入り今回のゴールは川崎市役所でした。せっかく川崎市に来たので街道からは外れますが川崎大師に参拝して今回の東海道五十三次ウォークは終わりました。次回で日本橋まで歩き東海道五十三次のゴールです。
生麦事件発生場所案内板 国道駅2025年12月21日日曜日
東海道五十三次藤沢宿から川崎宿まで歩く(8)松原商店街
果物屋さん
たくさんの買い物客でにぎわう
衣料品店
2025年12月20日土曜日
東海道五十三次藤沢宿から川崎宿まで歩く(7)
保土ヶ谷宿に入りましたが、本陣跡は通用門だけが残っています。脇本陣跡は元の建物はありません。保土ヶ谷は蕎麦が名物であったようで、1886年創業の老舗の蕎麦屋で昼食を食べました。この建物は江戸時代の船宿を再現して建てられたようです。内部には豊国の二八蕎麦屋が描かれた絵や広重の東海道五十三次の浮世絵が展示されていました。
本陣跡案内板 老舗蕎麦屋 二八そばを売る屋台の絵が掲げてある保土ヶ谷名物の蕎麦をいただく
東海道五十三次藤沢宿から川崎宿まで歩く(6)
品濃坂を上り切ったところに品濃一里塚が現存していました。江戸日本橋から9里目です。焼餅坂を上ると武相国境之木が立っていました。ここが武蔵と相模の国境です。しばらく歩くと上方見付跡がありました。ここから保土ヶ谷宿に入ります。昔の風情が残る旅籠屋がありました。
品濃の一里塚 品濃野一里塚案内板 武相国境之木保土ヶ谷一里塚跡上方見付跡 保土ヶ谷の旅籠跡
2025年12月18日木曜日
東海道五十三次 藤沢宿から川崎宿まで歩く(5)
東海道五十三次ウォーク2日目。吉田大橋を渡ると広重の戸塚宿の絵が展示されていました。当時の雰囲気は全く残っていません。しばらく歩くと江戸見付跡の石碑が立っていました。ここで戸塚宿は終わり保土ヶ谷宿に向かいます。赤レンガの建物が建っています。これは明治20年(1887)に日本で最初に作られた鎌倉ハム工場の建物のようです。街道を外れしばらく歩くと護良親王の首洗い井戸がありました。鎌倉幕府を倒し室町幕府設立に深くかかわったものの足利尊氏と対立し斬首された護良親王の首を側女がこの地に逃れ、当地の斎藤氏に救いを求め、この井戸で親王の首を洗ったという言い伝えがあるそうです。
吉田大橋東詰にある広重の戸塚宿の絵 江戸方見付跡碑 鎌倉ハムのレンガ造りの建物 護良親王の首洗い井戸2025年12月17日水曜日
東海道五十三次 藤沢宿から川崎宿まで歩く(4)
東海道五十三次は横浜市を歩いているので、夕食は横浜中華街で飲茶を食べました。竜や唐獅子が迎えてくれました。老酒で乾杯して一日目のウォークの疲れを取りました。
横浜中華街入口 竜が街を照らす 唐獅子が迎えてくれる 飲茶を楽しむ 老酒で乾杯
















































