2013年12月12日木曜日

「ひろしまドリミネーション」(3)広島市街中心部

 ひろしまドリミネーションの一環で行われている広島市街中心部のイルミネーションです。並木通り、アリスガーデン、東新天地公共広場、本通り等がきれいに光で彩られています。本通りにはサンフレッチェの優勝を祝う看板も取り付けられていました。サンフレッチェ2年連続J1優勝おめでとう!
並木通り(鳥たちの並木道)

アリスガーデン(星々のしずく)

東新天地公共広場(ムーンウオーク)

本通り(神秘の海) サンフレッチェ2年連続J1優勝おめでとう!

2013年12月11日水曜日

矢野三山登山(4)

   矢野三山の登山道で出逢ったのは太平洋戦時中に松脂を採った痛々しい傷跡のある枯れた松、この時期でも花を咲かせたり実をつけたりしている草花。
戦時中松脂を採った跡(採った松脂は航空燃料にされたという。このダメージが大きかったのか松は枯れている)

絵下頭にあったツルリンドウの実

登山道脇にあったママコナの花

登山道脇に季節外れのツツジの花が咲いていた。

2013年12月10日火曜日

矢野三山登山(3)

 矢野三山の登山で出逢ったものをもう少し紹介します。絵下山頂上付近は大きな岩がたくさんありました。絵下山頂上のあずま屋には猫が住みついていました。餌がおいてあったので、どなたかが世話をしておられるのでしょう。これから寒くなるけど大丈夫でしょうか。
 発喜山頂上(476m)頂上には分かりやすい表示板があってたすかる。この表示板がなければこの地が発喜山の頂上とは分かりにくい。

天狗岩(絵下山頂上付近には巨岩がたくさんある。)

登山道脇にある動き岩(押してみるとわずかに動いた。)

絵下山のあずま屋を根城にしている野良猫。登山者にいつも餌をもらうのか、よくなれていた。

2013年12月9日月曜日

矢野三山登山(2)

 絵下山頂上からは広島市街、瀬戸内海の島々がよく見えました。他の登山者に聞くと空気が澄んだ日には遠く四国の山も見えるそうです。昼食後は明神山を越えて、茶臼山に登りました。茶臼山の頂上には矢野城の支城の高尾山城跡がありました。茶臼山からの眺めもとてもよく、この地に城があり広島湾を行く船を見張る役を果たしていたことがよく分かります。
絵下山山頂からの眺望(広島市街地や瀬戸内海の島々が見渡せる)

麓からもよく見えるデジタル塔(近づいてみると予想以上に大きく高い)

明神山頂上(495m)

 茶臼山頂上 茶臼山は矢野では茶臼(ちゃあすけ)坂では高尾山と呼ばれ親しまれてきた。頂上は矢野城の支城高尾城があった。)
茶臼山頂上からの眺め(広島湾を行く船を見張っていた)

2013年12月8日日曜日

矢野三山登山

 山の仲間と矢野三山に登りました。この時期にしては比較的暖かく、晴天に恵まれ気持ちよく山登りを楽しむことができました。矢野三山とは広島市安芸区矢野地区の南方にそびえる絵下山(593m)発喜山(476m)、明神山(495m)を言います。この山には中世から戦国時代にかけて熊谷氏や野間氏が矢野城の築いていました。矢野城は南北朝時代、時の城主熊谷蓮覚は北朝に味方して南朝方の大軍と戦ったが破れ全滅し、戦国時代、時の矢野城主野間隆実は毛利元就の謀略に落ち、非業の最期を遂げたという悲劇の歴史を持つ城です。登山道の道筋は各所に山城だったことが分かる郭や掘割などの跡が見られる楽しい道でした。

矢野城跡にある野間氏の墓石(矢野城城主野間隆実は毛利元就の謀略におち、非業の最期を遂げた。)

野間神社(野間氏ゆかりの神社)この地も矢野城の郭跡か。

野間神社拝殿屋根にヒトツバが生えていた。

絵下山(568、1m)頂上広場は公園のように整備中であった。

絵下山頂(593m)は絵下頭といわれており大きな岩があった。その上で弁当を広げる山の仲間

2013年12月7日土曜日

秋の名残

 平和公園界隈を歩きました。本川公園のフウの木はまだ紅葉まっさかり、平和大通りの木の葉は大分落ちて、枝が見えています。小鳥がたくさん鳴いていました。広島市中心部の秋も終わりです。
青い空にフウの葉の赤が美しい

葉が落ちて、枝が見えている。たくさんの小鳥の鳴き声がした。

川面に映るイチョウの葉の黄色が美しい。

2013年12月6日金曜日

ハムラビ法典

 広島大学の文学部で公開講座があったので行ったところ、一階ロビーにハムラビ法典の原寸大の複製がありました。玄武岩の円柱で高さ2m40cmあります。説明板によると、ハムラビ法典はバビロンの第一王朝第6の王ハムラビ(在位:紀元前1729-1686)の編纂した法典で楔形文字で書かれています。 通説によれば、太陽神シャマシュの神殿に捧げられたもので、上部の像は右がシャマシュ左がハムラビ王だということです。
 「目には目を」の文言が刻まれている有名な条文は、裏面中央部にあるそうです。
 本物は、ルーブル美術館に所蔵されているそうです。
  この時代にすでに文字があり法律があるという高い文明を持っていたことは、歴史の勉強では習っていましたが、この複製を見て改めてイメージできました。
ハムラビ法典の原寸大の複製(本物はルーブル美術館にあるという)