2015年3月17日火曜日

尾道を訪ねて(9) 福善寺寺域は中世の城跡

 福善寺境内には十三重の石塔があり、その前にも五猿がいました。福善寺寺域は丹花城という中世の城があったところです。福善寺の背後は墓地となっており、その中に城主であった持倉則秀・則保父子の墓があります。立派な五輪塔で市重要文化財となっています。お寺の屋根に横目で見るかわいい獣の隅瓦がありました。これは何でしょう。

十三重の石塔(その前にも五猿がいた)

福善寺寺域は丹花城という中世の城跡

寺の背後にある墓地の中にある丹花城城主持倉則秀・則保の墓(市重要文化財)

福善寺の軒瓦(横目で見る目がかわいい)

2015年3月16日月曜日

尾道を訪ねて(8) 福善寺の山門と鷲の松

 尾道紀行が少し長くなっていますが、見どころがたくさんあり、なかなか終われません。今回は石造物を中心に見てきましたので、石だけに内容が少し固くなってしまいました。今日は石造物から離れて紹介します。「ええもんは福善寺」と言われているように福善寺の山門には見事な龍の彫り物があります。龍の彫り物など木組み一式が幕末ごろ京都の名工によって製作され、尾道の大工によって組み立てられたそうです。この門をくぐってまず目に付くのが大鷲が羽を大きく羽ばたいているような見事な枝ぶりの松です。これが鷲の松です。市の天然記念物に指定されているそうです。
「ええもんは福善寺」と言われている福善寺の門

見事な龍の彫り物

鷲の松(市天然記念物)

見事な枝ぶりの松

2015年3月15日日曜日

尾道を訪ねて(7) 御袖天満宮 陶器の狛犬・大山寺の五猿

 御袖天満宮には石の狛犬以外に社殿前に陶器の狛犬がいました。残念ながら阿形はどこかに行ってしまっていませんでしたが、吽形だけがいました。文政9年に奉納されたものです。御袖天満宮の隣の大山寺境内には日光東照宮の「見ざる 言わざる 聞かざる」の三猿の真反対の「みてご猿 いうてご猿 きいてご猿 まえむき猿で ご猿」の五猿(ご縁)がありました。「世の中をよく見よう よく言おう よく聞こう そして世の中を良くして行こう」という願いが込められているようです。前向きに生きたいものです。
御袖天満宮陶器の狛犬(文政9年奉納)

御袖天満宮後ろ

五猿(ご縁)石像(みてご猿 いうてご猿 きいてご猿 まえむきでご猿 でご猿) 

2015年3月14日土曜日

尾道を訪ねて(6) 御袖八幡宮のさすり牛・狛犬

 御袖天満宮に石段については、前に紹介しましたが、他にも素晴らしい石造物があります。天神と牛とは深い関係があります。さすり牛は触れると願いが叶うといわれているそうです。しっかり頭をなでさせていただきました。狛犬もいました。寛政11年に奉納されたものです。
御袖天満宮さすり牛(学問を究める道は牛歩の如く努力を積み重ねて成し遂げられるもの)

さすると里人の願いが叶うと言われている。しっかり頭をさすらせていただいた。

狛犬阿形(寛政11年制作)

吽形

狛犬後姿

2015年3月13日金曜日

尾道を訪ねて(5) 久保八幡神社の狛犬・軍配灯籠

 久保八幡神社にはまだまだ素晴らしい石造物があります。社殿前の狛犬は出雲構え型ですが、安政4年に尾道の石工が制作したものです。また、参道の灯籠の台座には軍配が組み込まれています。
久保八幡神社

久保八幡神社狛犬阿形(出雲構え型)

久保八幡神社狛犬吽形(安政4年尾道石工の制作)

軍配灯籠(灯籠の台座に軍配が組み込まれている)

2015年3月12日木曜日

尾道を訪ねて(4) 久保八幡神社の手水鉢

 久保八幡神社の牡丹が彫られた手水鉢は狛犬が支えています。それぞれ表情が豊かで見事な彫りです。天保7年に尾道の石工により制作されたものです。
久保八幡神社の見事な牡丹が彫られた手水鉢(狛犬が支えている)天保7年制作

見事な彫りの狛犬

押しつぶされそうになりながらも、歯を食いしばって頑張っている

この表情、休んでいるとき、ちょっかいを出されて機嫌を悪くしている我が家の猫とそっくり

大口を開けて何かを訴えているよう

2015年3月11日水曜日

尾道を訪ねて(3) 浄泉寺の天邪鬼

 浄泉寺の本堂前の用水鉢の下には天邪鬼がいます。用水鉢は昭和14年(1939年)に新しく作りかえられたものですが、天邪鬼は天保13年(1842年)の石工新八によって作られたものと考えられます。長年私たちに代わって重い用水鉢の押さえつけられながらも、頑張ってくれています。辛いでしょうがこれからもよろしく。
浄泉寺の用水鉢の天邪鬼

天保13年(1842年)制作

石工新八の作

用水鉢に長年押さえつけられている

つらいだろうけどこれからもよろしく!