2025年11月23日日曜日

東海道五十三次 小田原宿から藤沢宿まで歩く(4)

 塩海の名残の標識がありました。二宮では海水からの製塩が行われていた名残です。座問答の標石がありました。案内板によると、かつて大化改新により相武の国と磯長の国が統合されて相模の国になったとき、それまでの両国の一之宮の寒川と川匂とが新しい国の一之宮の座を巡って争い、互いに譲らなかったため、見かねた比々多と前鳥・平塚八幡宮が「いずれ明年まで」といって仲裁し円満解決したという故事をもとに儀礼化したものだそうです。先送り解決という、いかにも日本的な解決方法ですが、すぐに戦争という形で決着をつけるより良いと思いました。少し暗くなったころ松並木を歩いて1日目のゴールでした。
                                                                    塩海の名残
 
                 座問答の標石
              座問答の標石の案内板
        
             松並木を歩いて1日目のゴール

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