2015年3月7日土曜日

宮島を訪ねて(4) 厳島神社の屋根の移り変わり

 丁度宮島成風館で開かれていた「宮島大鳥居と鳥瞰図展」を見ていて、江戸時代厳島神社本殿には千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)が付いていないのに、明治時代の絵図には千木や鰹木がついていることに気が付きました。今はどうだろう、何回も見ているのに自信が無くなりました。改めて見てみるとやはり付いていません。近くで絵図を見ておられた松井輝昭先生に聞いてみると明治になって神仏分離政策により、千木や鰹木を付けさせられたようです。しかし、現在は取り外されています。今回新しく知ったことがたくさんありました。帰りの船で厚い雲の間から突然日光が海に下りました。まるで神様が天から降りてきたように感じました。
江戸時代の厳島神社(本殿の屋根に千木や鰹木がついていない)

明治時代の厳島神社(千木や鰹木が本殿の屋根に付いている)

現在の厳島神社

本殿の屋根に千木や鰹木が付いていない無い

雲の間から日が差す。(天から神様が降りてきたようだ)

2015年3月6日金曜日

宮島を訪ねて(3) 大鳥居(3)

 宮島の大鳥居が現在のような形と大きさになったのは、毛利元就父子による永禄4年(1561年)の大鳥居再建のものであろうということです。この鳥居は以後155年も建ち続けていました。この鳥居の規模と建造の方法が原型となって以後の再建でも引き継がれてきたようです。この大鳥居は海の上でも倒れないよう、主柱のほかに袖柱を4本付けたり、地中にたくさん杭を打ち、その上に主柱を載せたり、島木を箱にし、その中にこぶし大の石をつめて重くしたり、柱と屋根の交差するところには、特殊なくさびが施されひずみを吸収できるようなっていたりするなど工夫されているようです。大きな機材もない時代にこれだけの工事ができたということに改めて驚かされました。
観光客に人気の大鳥居(干潮になると大鳥居の近くまで行くことができる)

明治時代の管弦祭の図(鳥居を管弦船がくぐることで、大鳥居が注目されるようになる)

現在の管弦祭も管弦船が鳥居をくぐって神社に帰って来る)2013、7、24撮影

2015年3月5日木曜日

宮島を訪ねて(2) 大鳥居(2)

 宮島の大鳥居は何度も建て替えられていますが、天文16年(1547年)に大内義隆によって再建された時、扁額の文字は後奈良天皇が執筆されたものが使われ、その文字は途中で復刻されることはあっても明治まで使われ続けました。明治に入り有栖川熾仁親王筆の扁額に変えられました。それまでは伊都岐島大明神と書かれていましたが、伊都岐島神社と書かれています。神仏を分離する政策によるものです。以前のものは千畳閣に掲げられていました。また、昭和26年の修理で根元材が取り替えられましたが、以前のものの一部が厳島宝物館前に置かれていました。
宮島大鳥居の扁額(有栖川熾仁親王筆)伊都岐島神社と書かれている 


 千畳閣に掲げられている後奈良天皇執筆の扁額(裏側)天文16年(1547年)以来摸刻されても明治に至るまで使われ続けた。伊都岐島大明神と書かれている・




後奈良天皇執筆の扁額(表側)
嚴嶋大明神と書かれている。



根元材(明治8年に修理されたときのものを、昭和26年に取り換えた時の旧根元材)

2015年3月4日水曜日

宮島を訪ねて(1) 大鳥居(1)

 3月1日久しぶりに宮島に行きました。今回はおおのの風の企画「新・みやじま紀行2014宮島の大鳥居ものがたり」に参加するためです。宮島を訪れ、先ず出会う大鳥居ですが詳しいことは何も知りません。午前中は元県立広島大学教授松井輝昭先生の「大鳥居の移り変わりと人々の想い」と題しての講話を聞き、大変勉強になりました。この特徴的な朱色の鳥居ですが、江戸時代後期には色は付けてなかったそうです。それ以前は着色はされていてもベンガラで現在のような朱の鳥居になったのは明治44年の大修理以降のようです。また海に浸かる部分は腐食するので修理しなければなりませんが、大きな楠が手に入りにくいので、根継ぎの手法で修理してあります。干潮時に根元を見ると、継ぎ目がよく分かります。笠木の西には月が東には太陽がはめ込まれていますが、これも教えていただくまで気が付きませんでした。見ているようで見えていないものですね。
宮島の大鳥居(高さ16、8m 奈良の大仏とほぼ同じ高さ)

大きな楠の用材が手に入らないため根継ぎという手法で修理してある

西側には月

東側には太陽

2015年3月3日火曜日

広島城の堀の水鳥

 2月28日土曜日の朝の広島城の堀の水鳥の様子です。堀の南に50羽位群れて泳いでいました。堀端に立つと、一斉に集まってきます。どなたかが餌をやっておられるのでしょうか。キンクロハジロやホシハジロのようです。いつごろ北に帰るのでしょうか。
広島城堀の水鳥

堀端に立つと一斉にやってくる

キンクロハジロの雄

ホシハジロの雌

キンクロハジロの雌

ホシハジロ雄

2015年3月2日月曜日

竹原市 大久野島を訪ねて(9) 瀬戸内海の楽園

 今回は大久野島の戦争関連施設を中心に歩きましたが、現在の大久野島は「瀬戸内海国立公園休暇村 大久野島」としてマリンスポーツ、自然観察、キャンプ、サイクリングなどで、四季を通して楽しめるレジャースポットです。ウサギの耳に耳を当てて静かに波の音を聞いたり、灯台のある丘に上がって、沈む夕日を眺めたり、穏やかな海に浮かぶ島々の間を走るレジャーボートや釣り船を眺め、ゆったりとした時間を過ごすこともできます。この穏やかで平和な瀬戸内海の風景がいつまでも続くことを願いながら、帰りの船に乗り込みました。


 ウサギの耳(うさぎの耳をかたどった集音器が並んでいる。耳を当てると風や波の音が聞こえる。)

灯台(初点明治27年 平成4年改築)

高台からは瀬戸内に夕日が沈む光景がみられる。うさぎも付き合ってくれる。

              
穏やかな瀬戸内海の夕景

2015年3月1日日曜日

竹原市 大久野島を訪ねて(8) 大久野神社

 大久野神社に行きました。社殿は破損個所があり危険なため、近づくことが出来なくなっていました。狛犬は陶器製で昭和8年に制作されたものです。丁度毒ガスづくりが盛んに行われていたころ奉納されたことになります。どんな思いでこの島の歴史を見てきたのでしょうか。厳しい表情で何かを訴えているようです。
大久野神社

社殿には危険なため近寄れなくなっている

狛犬は陶器製(昭和8年奉納)

狛犬吽形(厳しい表情で何かを訴えているようだ)