宮島の大鳥居は何度も建て替えられていますが、天文16年(1547年)に大内義隆によって再建された時、扁額の文字は後奈良天皇が執筆されたものが使われ、その文字は途中で復刻されることはあっても明治まで使われ続けました。明治に入り有栖川熾仁親王筆の扁額に変えられました。それまでは伊都岐島大明神と書かれていましたが、伊都岐島神社と書かれています。神仏を分離する政策によるものです。以前のものは千畳閣に掲げられていました。また、昭和26年の修理で根元材が取り替えられましたが、以前のものの一部が厳島宝物館前に置かれていました。
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宮島大鳥居の扁額(有栖川熾仁親王筆)伊都岐島神社と書かれている |
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千畳閣に掲げられている後奈良天皇執筆の扁額(裏側)天文16年(1547年)以来摸刻されても明治に至るまで使われ続けた。伊都岐島大明神と書かれている・
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後奈良天皇執筆の扁額(表側)
嚴嶋大明神と書かれている。
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根元材(明治8年に修理されたときのものを、昭和26年に取り換えた時の旧根元材) |
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