2015年12月17日木曜日

安芸高田市吉田町鈴尾城に登る(4)

 井の壇に着きました。井戸には屋根が取り付けられています。石組がしっかり残っていました。底が見えないほど深いです。「安芸高田 お城拝見」によると深さが5mもあるそうです。城にとって水がいかに貴重なものであったかを伺い知ることができました。登山道に戻って、また本丸に向かいます。
井の壇

井戸に屋根が付けられている

しっかり石組が残っている(深さが5mもある)

登山道に戻って、本丸に向かう

2015年12月16日水曜日

安芸高田市吉田町鈴尾城に登る(3)

 鈴尾(福原)城跡への道標があるので安心して登れます。しばらく登ると五合目と表示された場所に着きました。ここは少し坂が緩やかになっています。ここで一息して、さらに本丸に向けて登ると本丸と井の壇の分岐点に来ました。井の壇に行ってみることにしました。
鈴尾(福原)城跡道標

五合目

本丸と井の壇との分岐点

井の壇に向かう

2015年12月15日火曜日

安芸高田市吉田町鈴尾城に登る(2)

 鈴尾城居館跡(別名土居の壇)は本丸の東側の谷の中腹に位置しており、長さ50m幅約20mの広い平地です。8代福原広俊の娘が毛利弘元に嫁いで、この居館で元就を産んだという伝説が残っていることから、昭和13年に建てられた毛利元就生誕の地碑がありました。しかし、当時城主の妻が里に帰って出産するという風習があったかどうかよく分からないので、本当にこの地が生誕の地かどうかは謎です。今後なにか資料が出てくると面白いですね。ここから更に本丸に向けて登ります。
鈴尾城居館跡(長さ50m幅約20m)

本丸の東側の谷の中腹に位置している(案内板より)

毛利元就生誕の地碑(昭和13年建立)

居館跡を後に本丸に向けて登る

2015年12月14日月曜日

安芸高田市吉田町鈴尾城跡に登る(1)

 安芸高田市吉田町福原にある鈴尾城跡に登りました。ここは室町時代から江戸時代まで毛利氏の重臣として仕えた、福原氏の居城です。8代広俊の娘が毛利弘元に嫁ぎ元就を産んだことから、鈴尾城には元就誕生の地の伝説があります。城跡入口はイノシシ・鹿の防護柵があるので扉を開けて入ります。途中でイノシシに逢わないかちょっと心配です。入口に建っている説明板の地図によるとおよそ20分で登れるようです。よく整備された急な坂道を登ると、三合目と書かれた広い平地に着きました。ここが館跡といわれているところです。
鈴尾城跡

鈴尾城跡入口(イノシシ・鹿の防護柵があるので扉を開けて入る)

鈴尾城の説明板の地図

急な登山道を登る

三合目に着いた

2015年12月13日日曜日

安芸高田市毛利隆元逝去の地を訪ねて

 安芸高田市高宮町の毛利隆元逝去の地を訪ねました。毛利隆元は毛利元就の尼子攻めに加わるため、永禄6年(1563年)に、ここにあった蓮華寺に滞在していた時、和智誠春の供応を受けた後、急病を発して亡くなり、この地で火葬にされたのだそうです。41才の若さでした。火葬場に建てられた毛利隆元の墓といわれる碑が高い石垣の上にありました。石垣の下に毛利隆元湯灌石がありました。病気か毒殺か未だに分かりませんが、毛利元就によって暗殺の疑いをかけられた和智誠春と関係者と見られた人々は後に誅殺されたり切腹に追い込まれたりしました。隆元が亡くなった地に立ち、戦国時代の厳しさに触れたような気がしました。
毛利隆元逝去の地入口

毛利隆元はこの地にあった蓮華寺で亡くなった。

毛利隆元逝去の地碑

毛利隆元湯灌石

2015年12月12日土曜日

旧日銀広島支店前の紅葉

 12月11日朝 旧日銀広島支店前を通りかかると、紅葉がきれいに赤く色づいていました。今冬は暖かくなかなか色づかないなと思っていました。しかし、冬とは思えない春一番のような生暖かい強い風が吹いて、せっかく色づいた葉も吹き飛ばしそうです。
旧日銀広島支店前の紅葉

例年より遅く赤く色づいた紅葉

強い風に揺れる紅葉の枝

2015年12月11日金曜日

平和大通り「ひろしまドリミネーション2015」を撮る(4)

 今回は低い位置から、コンデジの魚眼機能を使って撮ってみました。また近くの光をボカして遠くのハートフルツリーを撮ってみました。コンデジもいろいろな機能を使って撮ると楽しいです。
ピース城と平和のハト①

ピース城と平和のハト②

ハートフルツリー