2015年12月15日火曜日

安芸高田市吉田町鈴尾城に登る(2)

 鈴尾城居館跡(別名土居の壇)は本丸の東側の谷の中腹に位置しており、長さ50m幅約20mの広い平地です。8代福原広俊の娘が毛利弘元に嫁いで、この居館で元就を産んだという伝説が残っていることから、昭和13年に建てられた毛利元就生誕の地碑がありました。しかし、当時城主の妻が里に帰って出産するという風習があったかどうかよく分からないので、本当にこの地が生誕の地かどうかは謎です。今後なにか資料が出てくると面白いですね。ここから更に本丸に向けて登ります。
鈴尾城居館跡(長さ50m幅約20m)

本丸の東側の谷の中腹に位置している(案内板より)

毛利元就生誕の地碑(昭和13年建立)

居館跡を後に本丸に向けて登る

2 件のコメント:

  1. 小学校が、銀山城址の近くにあったためか、
    山城に、興味が湧かないわけがありません。
    というか、可部の高松城址の話を詳しく聞かされた時からでしょうか。
     太田川橋方面から見る馬場跡の平らになった部分の話だったかなぁ。
     そういえば毛利氏の居城だった郡山城が日本最大の山城だった事は、広島の人も
    あまり知ってないどころか、
     広島城の縄張りでさえ、大阪城に次ぐ日本で2番目の規模だったことさえ
    知らない広島の人もいます。
     京都、大阪に次いで人口も江戸時代になるまでは3番目だし。
    結構、広島って古くから栄えた街というのが、ヒロシマモンにとっては自慢でしょうか(笑)
     でも、やっぱり地味なんですよねぇ、広島は。
    殆どの物が揃い、コンパクトにまとまり過ぎてしまう。
     平野部の狭さだけとは言い切れない何かがある街です。
     大好きな故郷なのになぁ。
     

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  2. トクさん その地にいるとなかなか良さが分からないものですね。歩いてみると、まだまだ知らないことが多く、出逢いと発見の毎日です。

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