2013年11月10日日曜日

可部 高松城跡を訪ねて

11月9日、広島市未来都市創造財団文化財課・可部公民館共催の遺跡ハイキング「高松城探訪」の企画に参加しました。山城研究の専門家の方の説明を聞きながら高松城跡まで登り、とても勉強になりました。高松山は標高339mと余り高い山ではありませんが、急な坂道が続き、途中には堀切や竪堀・切岸など堅固な防御施設が作られており、城を攻めるのはとても困難だったことが身を持って分かりました。高松城は熊谷氏の居城です。熊谷氏は承久の乱の功績で三入庄の地頭職を与えられ、大林の伊勢が坪城を居城としていた。やがて勢力を伸ばし1500年ごろ高松城に入城したといわれていますが、正確なことは分かっていないようです。本丸跡からは可部の町や石見・出雲街道を眼下に見下ろし、銀山城など周囲の山城、遠く広島湾まで見通すことができます。戦略上重要な場所に位置する城だったことがわかりました。
可部高松城跡

高松城内にある井戸の跡(城づくりをする上で重要なのは水の確保)

高松城本丸跡から広島市中心部を臨む(眼下には可部の町、遠く広島市中心部、広島湾まで見通すことができる。)

鳥たちの御馳走(本丸跡では柿の実が鈴なりになっていた。)

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