2013年11月11日月曜日

可部 高松城跡を訪ねて(2)

 高松山頂上付近は本丸跡を始め広い郭跡があり、きれいに整備してあります。この広さであれば城主の館を始め先代の隠居所、たくさんの家来などが政務を執ったり宿泊したりする建物を建てることができます。城主は平時は土居にいて山上の城には戦時だけ入るものと思っていましたが、戦国時代ともなると平時も城に住むようになったとの解説を聞き、山城のイメージが変わりました。
高松山頂上付近の広い郭跡(城主が住む館などが建っていたと思われている)

本丸跡付近のナンキンハゼ(きれいに色づいている)

                   本丸から少し下ったところの郭跡にある高松山神社
 享保5年(1720年)の可部の町の大火後、火伏の神様として京都の愛宕神社の祭神である迦具土神がこの地に勧請されたという。

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