歴史さんぽ
2018年8月1日水曜日
佐渡を訪ねて(9)妙宣寺③ 城跡・日野資朝の墓・楼門・本堂
妙宣寺の境内は戦国期に雑太郷の地頭であった本間氏の城があったところです。上杉景勝の佐渡支配により廃されその後上杉家代官の直江兼続により城地は妙宣寺に与えられたようです。境内には日野資朝の墓もありました。日野資朝は後醍醐天皇の側近で鎌倉幕府の討幕計画が発覚し佐渡に流された後1332年に処刑されこの地で荼毘にふされたということです。妙宣寺は日蓮宗の佐渡三本山の一つというだけあって楼門や本堂も堂々たる立派な建物です。
妙宣寺の境内は雑太城の跡
日野資朝の墓
楼門
本堂
0 件のコメント:
コメントを投稿
次の投稿
前の投稿
ホーム
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿