2020年7月19日日曜日

宇品海岸を歩く(2)宇品波止場公園

 宇品波止場公園には「’89海と島の博覧会・ひろしま」のシンボルタワー「パラダイスの塔」が建っていました。1989年は広島港築港100年で、その記念に移設されたそうです。31年ぶりに見ました。内部にも入ってみました。公園内には六管桟橋の一部が保存されていました。多くの兵士をここから送り出し、多くの遺骨を迎えた場所です。また昭和61年9月30日に92年の歴史の終止符を打った宇品線のレールも置かれていました。
パラダイスの塔
パラダイスの塔内部

パラダイスの塔内部の上部

六管桟橋

宇品線のレール

2020年7月18日土曜日

宇品海岸を歩く(1)

 広島港宇品旅客ターミナルから宇品海岸を歩きました。宇品海岸は宇品海岸プロムナードとしてきれいに整備されており、今回は宇品デポルトピアを通って宇品波止場公園まで歩くことにしました。広島港に浮かぶ船や、島々を見ながら気持ちよく散歩していると、高い塔が見えてきました。
宇品海岸プロムナード案内図
宇品デポルトピア


宇品デポルトピアからの眺め

高い塔が見えて来た

2020年7月17日金曜日

日渉園跡を訪ねて

 広島市西区三滝本町にある日渉園跡に行ってみました。日渉園は寛政・享和年間(1800年前後)に広島藩の藩医である後藤松眠(1755~1828)が開園した広島藩の薬草園です。かつて一度訪れたことがあるのですが、蘭学者の高野長英が「蛮社の獄」で囚われ、脱獄しこの地に潜んでいたことがあるということを知ったので改めて訪ねました。現在は広島大学に移管されていて、園内は園路を通って見学できるようになっています。園内は上下2段になっており、上段の涸れた池には石の太鼓橋が架かっていました。小さな祠もありました。高野長英はこの上段に建っていた「神農堂」に隠れ住んでいたということです。下段の池には眼鏡橋が架かっていますが、全く手入れされておらず、雑草に隠れてよく見えない状態でした。下段には茶室もありました。
日渉園上段(高野長英が隠れ住んでいた)

上段の涸れた池に架かる石の太鼓橋
上段にある祠
下段の池に架かる眼鏡橋(草に隠れてよく見えない)


日渉園下段の池の向こうに茶室が見える

下段に建つ茶室

2020年7月16日木曜日

梅雨時の縮景園

 梅雨時の縮景園は、春のように梅や桜、桃の花などが咲き、秋には紅葉が見られ華やかですが、梅雨時はあまり花は咲いていないし、雨が降ったり蒸し暑かったりして魅力に乏しいように思われますが、流石に大名庭園です。年中楽しめるよう配慮されています。島にアオサギやコサギなどの水鳥が立っているのも絵になるし、芝生でムクドリが仲良く餌をついばんだりしているのも風情があります。また苔の間から、仲良く並んで生えているキノコなど、いろいろなキノコを観察できるのもこの時期です。
アオサギ

ムクドリ

コサギ

仲良しキノコ



2020年7月15日水曜日

縮景園の手水鉢

 縮景園を訪ねました。この時期あまり花は咲いていませんが、テーマを決めて園内を歩くと楽しめます。今回は手水鉢を見て歩きました。萬歳手水鉢は超然居の傍らに置かれています。玉ねぎ状に割れた自然石を利用したもののようです。明月亭の縁先には下部に上向きの蓮弁が彫られた手水鉢があります。これは石灯籠の基礎に水穴を穿った手水鉢だと思われます。悠々亭の脇の池の上に立つのは方柱型の手水鉢です。祺福山石段の踊り場には長い石に水穴を穿った一文字型の手水鉢がおいてありました。
超然居の傍らの萬歳手水鉢

明月亭の縁先の手水鉢(下部に上向きの蓮弁が彫られている)

明月亭の縁先の手水鉢(石灯籠の基礎に水穴を穿ったもの)

悠々亭の脇の池の中に立つ方柱型手水鉢

祺福山石段の踊り場に設置してある一文字型手水鉢

2020年7月14日火曜日

秀玉稲荷神社を訪ねる

 広島駅の前を流れる猿猴川と京橋川の分岐点に前にも紹介したことがありますが、秀玉稲荷神社があります。広島市街地は太田川の河口の三角州に作られた街なので、古くから水害に悩まされてきました。秀玉稲荷神社は広島城が出来る前、毛利元就の命で、猿猴川と京橋川の分岐点の台奥の鼻に治水用築堤工事を行い、また段原や比治山新開地に堰を作った時の事故犠牲者を祀った神社です。狛狐は毛糸で編んだ帽子やベストを着せてもらい、大事にされています。
秀玉稲荷神社

狛狐(毛糸の帽子やベストを着せてもらい、玉を咥えている)

狛狐(巻物を咥えている)

京橋川と猿猴川の分岐点 台奥の鼻(水の勢いを緩める工夫がされている)

2020年7月13日月曜日

比治山貝塚を訪ねる

 南千田東町の常夜灯から歩いて比治山南麓にある比治山貝塚に行ってみました。この貝塚は縄文時代後期~晩期(約3000年前頃~約2500年前頃)の人々の生活した跡です。昭和25年に広島県史跡に指定されています。  比治山への登山口に説明板がたっていました。今は全く貝塚とは分かりませんが昭和36年に発掘した当時の写真がありました。説明板によると、貝層から土器の他に鹿の骨や歯、石鏃・石錘、石刃などの石器が出土したそうです。当時の人々は漁労や狩猟をして生活していたのでしょう。当時はこの辺りまで海だったことが分かります。
昭和36年の発掘の様子(説明板より)

比治山貝塚(麓側から撮影)

広島県史跡比治山貝塚(山側から撮影)

縄文時代はこの辺りまで海だった!