2014年1月14日火曜日

福山市神辺町を訪ねて(2)廉塾

 本陣に続いて、西国街道筋を東に歩いて行くと、菅茶山(1748~1827年江戸時代後期の儒学者、詩人、教育者)が開いた廉塾跡前に来ました。ここでもボランティアの方が出迎えてくださり親切に分かりやすく説明してくださいました。感謝・感謝です。門をくぐると、菜園があります。当時もこの菜園で塾生や菅先生は畑仕事をし、自給自足のような暮らしをしていたようです。今でいう体験学習でしょうか。左手に養魚池があります。茶山の所には全国からたくさんの人が訪ねてきていたようで、茶山はその客をもてなすため、養魚池に鯉などを飼っておき、ふるまったようです。元祖「おもてなし」ですね。用水路の前に土壁の建物があります。塾生の寮舎だったようです。水路をまたぐ石橋を渡ると茶山の居宅や講堂があります。頼山陽もこの塾で学び、塾頭もしていたということです。右手に行くと、板と煤竹をうまく組み合わせた濡れ縁があり、その前に方円の手水鉢があります。「水は方円の器に随い、人は善悪の友に依る」という言葉を表現したものだそうです。塾生たちは手を洗う度にこの言葉を思い浮かべたことでしょう。
廉塾(菅茶山は邸内の菜園に野菜を植え塾生と共に栽培していたという。)

養魚池(この池に鯉などを飼っておいて、来客を「おもてなし」したという。)

塾生の寮舎

塾生が学んだ講堂(6畳2室8畳1室からなる3室をふすまを外して使用していた。)

方円の手水鉢(塾生は手を洗う度に「水は方円の器に随い、人は善悪の友に依る」という言葉を思い起こす。)

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