筥崎宮に行ってみました。筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられるということで、思った以上に大きな神社でした。
応神天皇を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建の時期についてははっきりしませんが、一説によると平安時代の中頃の延喜21年(921年)、醍醐天皇が神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923年)筑前大分宮(穂波宮)より遷座したといわれている大変由緒ある古社です。早速黒田長政寄進の大鳥居に迎えられ、広島とも深い関わりのある小早川隆景の造営した立派な楼門には亀山上皇の御宸筆(レプリカ)が掲げられているのを見ることができました。元寇により焼けてしまったこともある神社で、蒙古軍船の碇石も境内にありました。参道は真っ直ぐ博多港まで続いており、この地がまさに日本の海外との交流の門戸だったことが実感できました。
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筥崎宮一ノ鳥居(黒田長政寄進)国指定重要文化財 |
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筥崎宮楼門(国指定重要文化財)小早川隆景により造営された。 |
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亀山上皇の御宸筆の扁額(小早川隆景が楼門を造営した時、謹写拡大したもの「現在のは平成の大修理で新しく掲げられたレプリカ。」) |
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境内には蒙古軍船の碇石が置かれていた。(博多港中央波止場付近の海中から引き揚げられたもの。)
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筥崎神社の参道は、はるか海からずーと真っ直ぐに続いている。海外との交流の門戸となった神社であることが伺える。 |
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