2014年5月12日月曜日

北広島町を訪ねて(3) 有田合戦での武田方武将戦死の地

 有田合戦で戦死した人の墓や碑を訪ねてみました。略地図を見て探したのですが、よく分からなくて、地域の人に聞いて教えていただきました。可部の高松城の城主熊谷元直の墓は中国自動車道千代田ICの近く、冠川を渡った所の家の脇にありました。永正14年10月22日の早朝毛利元就の奇襲攻撃で討死したということです。墓にはめ込まれたプレートによると現在の墓は末裔の方が建てられたようです。武田元繁が討死した地碑は有田城の麓、国道261号と中国自動車道が交差する場所の近く、又打川沿いに建っていました。この小さな又打川を渡る時、矢が当たり熊谷元繁は中国制覇の野望空しく討死したのでした。最後に訪れたのは、国道261号を渡り中国自動車道に沿ってしばらく歩いた所の田んぼの脇に建つ己斐豊後守師道の戦死の地に建つ供養塔です。この供養塔に豊後守師道は行年62歳だったことが記されていました。当時では高齢で、この戦いにかり出され討ち死にした師道はさぞ無念だったことでしょう。近くで田植えの準備をしておられた方にきくと、今でも県内に住む末裔の方がお参りされるようです。


熊谷元直の墓(毛利元就の奇襲で戦死。中国自動車道千代田ICの近くにある。)

又打川沿いに建つ武田元繁戦死の地碑(背後に見えるのが有田城跡)

又打川(武田元繁はこの川を渡れなかった。)

己斐豊前守師道の戦死跡の供養塔(行年62歳。地域の方に聞くと、今でも末裔の方がお参りされるという。)

2 件のコメント:

  1. ロマンを感じますね

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  2. TIOさん 歴史散歩するといろいろな出逢いがあって楽しいですね。

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