歴史さんぽ
2018年6月18日月曜日
岩国錦帯橋・岩国城を訪ねて(10)岩国城を下山し帰宅の途に
天守台跡は平成7年に一部埋まっていた石垣を発掘して復元したものです。この石は城山の西南の峰づたいの岩窟から運ばれたもののようです。荒く割って積み上げています。大急ぎで築いた城を破壊しなければならなかった吉川広家はさぞ無念だったことでしょう。少し下ると大釣井跡がありました。説明板によると、ただの井戸ではなく非常時の武器弾薬等の収納や落城時の脱出口として作られたと伝えられているそうです。広家は関ケ原後も戦があることを想定してこの城を築いたことが分かります。城山一帯は「城山おもしろパーク」になっておりロープウェイ頂上駅近くの交流ひろばにはからくり時計がありました。下山はロープウェイを利用せず、歩いて下山しました。途中散歩中の地元の人に出会い、近道を通っていろいろな話を伺いながら下山することができました。そろそろ日も陰ってきたので、高速バスで広島に帰りました。岩国城には何回か行っていますが、何度行っても新しい発見があります。ふと今は亡き父が出征前に錦帯橋で撮った写真が古いアルバムに残されていたのを思い出しました。おそらく昭和10年頃だと思います。水兵さんが写っています。休暇で錦帯橋を訪れたのでしょうか。水兵さんはどんな思いでこの橋を渡ったのでしょうか。
天守台跡 平成7年(1995年)発掘復元
大釣井跡(非常時の武器弾薬等の収納、脱出口とも)
交流ひろばのからくり時計
日が陰ってきた錦帯橋
錦帯橋を渡る水兵さん(昭和10年頃)
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