2014年6月7日土曜日

柳井市を訪ねて(4) 国木田独歩旧宅への道

 湘江庵からさらに東に向かって歩き、国木田独歩旧宅に向かいました。途中古いポンプや江戸時代の道しるべがある細い道をたどっていくと、少し小高い所に国木田独歩旧宅がありました。国木田独歩は明治時代を代表する作家の一人です。20歳から22歳の2年間を柳井で過ごし、この体験をもとに「少年の悲哀」や「置土産」などが書かれたのだそうです。本棚を見るといつか読もうと思いながら後回しになっていた文学全集の国木田独歩の中に「少年の悲哀」があったので早速読みました。現地を見た後なのでイメージがわきました。独歩を読むいいきっかけになりました。

花壇の中に古いポンプがある。

江戸時代の道標(安政二年六月吉日)

国木田独歩旧宅をこの地に移築したもの(現在は記念館として保存され、独歩ゆかりの品が展示してある)

旧宅の裏にある独歩之碑

2014年6月6日金曜日

とうかさん

 夕方広島の本通りを歩いていると浴衣を着た女性が歩いていました。「ああそうか、今日からとうかさんが始まるのか」と思って、早速圓隆寺にお参りしてきました。時間が早かったのでまだそれほど込んでいませんでしたが、広島の3大祭りの一つで例年三日間で45万人もの人出でにぎわうそうです。この祭りは元和5年(1619)以来400年近く続いているそうです。広島ではこの日からゆかたを着始めるという習わしがあり、ゆかたの着始め祭りとされています。
圓隆寺入口(とうかさんは広島3大祭りの一つで例年多くの人出でにぎわうため境内に入るのは一方通行となっている)

圓隆寺境内(とうかさんは圓隆寺の総鎮守である稲荷大明神のお祭り)

圓隆寺正面(元和5年(1619年)圓隆寺の建立以来400年近く続いているお祭り)

とうかさんは広島のゆかたの着始め祭り

2014年6月5日木曜日

柳井市を訪ねて(3) 町の東側を歩く むろやの園・湘江庵

 「やない白壁の町並み地区」の東側には柳井市町並み資料館がありますが、月曜日は休みで中へは入れませんでしたが、明治時代に建てられた元周防銀行本店を資料館として活用しています。むろやの園は西日本有数の油商の屋敷です。屋敷の面積は約800坪もあるそうです。所蔵品が一部外からも見られるようになっています。さらに西に歩いていくと湘江庵があります。この寺の境内に柳井の地名発祥の由来となった柳と井戸があります。
柳井市町並み資料館(明治40年に周防銀行本店として建築されたもの)

むろやの園(西日本でも有数の油商であった小田家の屋敷)

むろやの所蔵品が一部外から見られるようにしてある。

柳井の地名発祥の由来となった柳と井戸(湘江庵)

2014年6月4日水曜日

柳井市を訪ねて(2) 宝来橋辺り

 柳井川にかかる宝来橋辺りに行ってみました。宝来橋は柳井川にかかる橋で最も歴史の古い橋です。この辺りに舟がつき雁木からたくさんの商品が積み下ろされたようです。橋のたもとには愛宕地蔵尊が建っていました。このお地蔵様は火伏の地蔵で宝暦年中(1751~1763)に建てられ、柳井の町を見守り続けています。写真を撮っていると猫がやってきました。
火伏の地蔵として宝暦年中(1751~1763)に建てられた愛宕地蔵尊と人懐っこい猫

柳井川の左岸の石垣と雁木は享和3年(1803)頃の築造(ここから商品を船から積み下ろされた。)

宝来橋(柳井川で最も歴史の古い橋1674年頃掛けられた。かつては石橋であったらしい。)

写真を撮っていると猫が偵察にやってきた。

2014年6月3日火曜日

柳井市を訪ねて(1) 金魚ちょうちんのある風景

 写真の仲間と山口県の柳井に行きました。柳井は江戸時代岩国藩の御納戸といわれ、全国各地から物資が集まり大いに繁栄した町です。江戸時代の商家が並ぶ白壁の町並みではたくさんの金魚ちょうちんが迎えてくれました。柳井市を代表する民芸品の金魚ちょうちんは青森の「ねぶた」をヒントに造られたそうです。
金魚ちょうちん(青森のねぶたをヒントに、竹ひごと和紙で形づくり、柳井縞の染料を用いて作られた。)

折り紙の金魚ちょうちん

お店の軒先に吊るしてある金魚ちょうちん。

金魚ちょうちんが吊るされた白壁の町並み(約200mの街路沿いに江戸時代の商家の家並みが続いている。)

2014年6月2日月曜日

奥出雲たたらの里を訪ねて(6) 金屋子神社

 たたら製鉄が行われている地域には金屋子神社があります。その全国1200社を数える金屋子神社の総本山が安来市広瀬町にあります。さすがに建物の組み物や彫刻は立派で風格があります。現在でもたたら製鉄を始め、鉄に関わる仕事の人々の信仰を集めています。風化が進んでいますが境内にある出雲構え型の狛犬も迫力のある立派なものです。
金屋子神社本殿(全国1200社の金屋子神社の総本山)

金屋子神社拝殿

金屋子神社の社殿は明治14年の建造

拝殿前の狛犬(出雲構え型 来待石製か)

2014年6月1日日曜日

奥出雲たたらの里を訪ねて(5) 棚田の景観

 奥出雲の田畑の約3分の1は鉄穴流しの跡地を拓いて造成した耕地だそうです。棚田に豊かに流れる水は鉄穴流しの技術が生かされています。この田んぼからとれた仁多米はおいしいと高く評価されています。また所々にひょっこりひょうたん島のような丘が残されています。鉄穴残丘と呼ばれ墓地や神社があったところは掘らないで残されたのだそうです。鉄穴流しは自然破壊のイメージを持っていましたが、こうして新たに豊かな耕地を生み出し人々の生活を支え、美しい景観を作り出してきたことが分かりました。羽内谷鉱山鉄穴流し本場に行き、水の流れを利用してうまく砂鉄を選り分ける仕組みがよく分かりました。
鉄穴流し跡に拓かれた棚田(おいしい仁多米のふるさと)

棚田の間に残る鉄穴残丘(墓や神社があったところは残されている。)

羽内谷鉱山鉄穴流し本場(砂鉄を採集する最終工程)