歴史さんぽ
2015年9月27日日曜日
赤穴瀬戸山城跡に登る(2) 松田左近の墓・大手門跡
稲荷神社まで行くと、城跡登山道と松田左近の墓への道の分かれ道となっていました。せっかくなので松田左近の墓にお参りしてから城に登ることにしました。松田左近の墓へは稲荷神社の赤い鳥居の列を潜っていきます。稲荷神社に手を合わせ、道を下り、舗装道路をまた少し登ると松田左近の墓がありました。松田左近は豊臣秀吉の家臣でしたが、後、堀尾吉晴の家臣となり、関ケ原の戦い後、堀尾吉晴が出雲の国の藩主として入封したとき、この赤穴瀬戸山城を賜り、城主として、石垣を築くなど近世城郭化したり、赤名を城下町として整備したりした人です。松田左近の墓にお参りした後、また登山道にもどり、城跡への道を登っていくと、両側が切り立った崖のようになっていたり、堀切など、城を防禦する仕組みが見られました。急坂を息を切らせながらしばらく登ると草が刈ってある郭が見えてきました。やがて大手門跡に着きました。ここには石段が残っています。
松田左近の墓への道は稲荷神社の鳥居を潜って行く
松田左近の墓(松田左近は江戸時代初めの城主 赤穴瀬戸山城を近世城郭化し、赤名を城下町として整備した)
瀬戸山城登山道(両側が切り立っている)
城跡の郭が見えて来た
大手門跡には石段が残っている
大手門跡案内図
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