2015年10月18日日曜日

赤穂を訪ねて(7) 赤穂城⑤ 本丸御殿跡・天守台・厩口門

 本丸門を抜けると、本丸御殿跡がありました。建物はありませんでしたが、永井家文書の中に御殿の間取り図が発見され、それをもとに平成元年(1989年)に御殿の間取りが復元されていました。本丸南西部には天守台がありました。この天守台には当初から天守は建造されなかったようです。天守台の上に上がり、本丸御殿や本丸門などの写真を撮り、厩口門から本丸を出て大石神社に向かいました。厩口門は浅野家時代には厩口門、森家時代には台所門と呼称されていました。この門は廃城後に失われ、後には県立赤穂高校として改変されていましたが、平成13年(2001年)に門、橋、土塀及び周辺石垣が整備され、現在往時の姿を見ることができるようになったようです。
本丸御殿跡

天守台(天守は当初から建造されなかった)

天守台上から本丸門・本丸御殿を望む

厩口門(内側)森家時代には台所門と呼称されていた。

厩口門(外側)廃城後に失われ、後には県立赤穂高校として改変されていた。

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