牛田山から神田山に向かいます。神田山頂上には、丸太を並べたベンチがありました。太田川方面がよく見えます。見立山に向かいます。教育センター、神田山荘を右手下に見ながら、進むと見立山に着きました。毛利輝元が天正17年(1589年)にこの地に立って城を建てる位置を見立てたことから、「見立山」と名付けられたと言われています。周りに背の高いビルが建ったので目立たなくなってしまいましたが、県立体育館の屋根の前に広島城天守閣の最上階が小さく見えました。広島の街のこのような変化を毛利輝元はどんな気持ちで見ているでしょうか。見立山から下りる途中何も書いてない塔が建っていました。帰って調べてみると、これは見立山記念塔といって、昭和7年に軍人勅諭拝受五十周年記念碑として建てられた塔で、戦時中金属部分が供出されたまま現在に至っているようです。
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神田山頂上(178、7m) |
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見立山頂上(118、2m)この地に毛利輝元が立って、築城の場所を見立てた
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遠く広島城が見える |
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見立山から広島市中心部を望む |
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見立山記念塔(軍人勅諭拝受五十周年記念碑) |
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