歴史さんぽ
2019年2月26日火曜日
呉市御手洗を歩く(10)御手洗幼・小・中学校跡~満舟寺
歴史の見える丘公園から、御手洗幼・小・中学校跡地に下ります。そこには御手洗出身で明治維新の志士星野文平の碑がありました。高杉晋作ら諸国の藩士らとともに討幕運動に活躍していましたが志途中で29歳の若さで亡くなった人です。また二宮金次郎像もありました。薪を売りに行く間も惜しんで学問をしたという美談がモチーフですが、現在であれば通塾カバンを背負って、歩きスマホ(危険です!いけません)というところでしょうか?満舟寺に行きます。高い石垣です。戦国時代の乱れ築きです。案内板によると御手洗は鎌倉時代には来島村上氏が警護する海関が設けられていたり三島水軍と大内軍がここで海戦を行ったり、秀吉の四国攻めでは加藤清正が築城したとの記録も残っており、元々は水軍の拠点であったことが考えられるということです。境内には琉球使節の筆跡の額が掛かっている観音堂や、松尾芭蕉の百回忌を記念して当地の俳人達が建てた誰彼塚や大名以外の墓としては珍しい亀趺墓がありました。江戸時代の御手洗の文化の高さがしのばれる散策でした。
維新の志士星野文平碑(昭和7年建立)
二宮金次郎像
満舟寺の石垣(戦国時代の乱れ築き)
観音堂
琉球使節が揮毫した観音堂の額(1807年)
誰彼塚
亀趺墓
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