歴史さんぽ
2018年5月2日水曜日
安芸高田市に足利義昭の墓!?
先日広島県と島根県の境の位置にある久喜・大林銀山を訪ねたとき、近くに「天下墓」があることを知り4月30日改めて行ってみました。なんとそれは安芸と石見の国境碑のすぐ背後の小丘にありました。丘の麓には「足利氏天下墓参道碑」と書かれた石碑が建っていました。丘に登って行くと、宝篋印塔や五輪塔の一部と思われる石や祠がありました。案内板によると、これは足利義昭の墓だと伝えられているそうです。室町幕府15代将軍足利義昭は織田信長に京都を追放され、毛利氏を頼って鞆の浦で数年過ごしたが毛利氏とも不和になり尼子氏を頼って山陰に向かう途中病み、この地に智教寺を建立して数年住んだ後亡くなったので、ここで火葬し、墓を建てたと文政2年の「国郡志書出帳生田村」に書かれているそうです。しかし、通説では足利義昭は大坂で亡くなっているので食い違いがあります。当時生田村ではこのように伝えられていたのでしょう。足利氏に縁のある人物の墓かも知れません。ロマンがありますね。
国境碑の背後の小丘には天下墓が
丘の麓に建つ「足利氏天下墓参道碑」
参道を登って行くと
足利義昭の墓と伝えられる墓
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