2016年11月28日月曜日

岡山県 臥牛山(備中松山城)に登る(6) 八重籬神社

 備中松山城の二の丸で昼食を摂り、下山して向かったのは臥牛山の麓にある八重籬神社です。この神社は備中松山藩板倉家の始祖板倉勝重(1545~1624)と2代重宗を(1586~1656)を主祭神として4代藩主板倉勝政(1759~1821)によって創建され、現在地には6代藩主勝職(1803~1849)が1830年に遷宮しています。参道では紅葉がきれいに色づき、イチョウの葉が散り、地面が黄色いじゅうたんを敷き詰めたようでした。神社に今日の登山の無事を感謝し手を合わせ、形のいい狛犬や拝殿屋根の留蓋の写真を撮り、境内を歩いてみると「臥牛亭」がありました。案内板によると14代将軍徳川家茂、15代将軍徳川慶喜の時老中を務めていた板倉勝静が農民の苦労をしのぶため、自ら農耕し農園の隅に小亭を建て農耕の神を祀り五穀豊饒を祈ったとされる建物を移築したもののようです。また神社裏には熊田神社がありました。これは鳥羽伏見の戦いの敗戦により危機に陥った隊士の助命ため自刃し玉島や松山城下を兵火から守った藩老熊田恰矩芳の遺徳を顕彰し祀った神社だそうです。
八重籬神社

八重籬神社参道の紅葉

八重籬神社に参拝

狛犬(阿形)

拝殿留蓋

臥牛亭

熊田神社(幕末の藩老熊田恰矩芳を祀った神社)

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