2015年4月13日月曜日

萩城跡を訪ねて(3)

 萩城は指月山の麓に本丸が築かれたことから指月城とも呼ばれます。城郭の構造は指月山の頂上の山城の部分と山麓の平城の部分とを合わせた平山城です。明治7年天守閣などの建物は解体され現在は石垣だけが残されています。石垣をよく見てみると、広島城の石垣とよく似たところもあります。広島城と共通の石工集団が築いたのでしょうか。天守閣跡の横には長い雁木が築かれており、江戸期に建てられた城とは言え、実戦を強く意識した作りになっていることが分かりました。また城の石垣の隅は算木積になっていることが多いのですが、石の長辺を縦に使っている珍しい積み方をした部分もありました。よく崩れないものだと思います。このような積み方はなんというのでしょうか。
萩城天守閣跡(明治7年解体)

天守閣跡から内堀、指月山方面を見る

天守閣横の雁木

南門跡の石垣(広島城と似たような石垣の積み方が見られる)

算木積の石垣

これは何積みというのでしょうか
明治初期頃 解体前の萩城(萩城跡パンフレットより)

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