2015年4月9日木曜日

萩往還を歩く(4) 石畳・殉難三士の碑

 雨上がりの石畳は滑りやすいので気を付けて歩きます。しばらく歩くと、平らな石をきれいに敷き詰めた石畳がありました。これは往還道整備中たまたま見つかった、元々の石畳だそうです。元は土橋だったという石橋を渡ると平地に出ました。明木です。ここに先ほどの烏帽子岩にさらされてあったという殉難三士の碑がありました。1865年当時長州藩は俗論派と正義派に別れ激しく争っていました。和平を進めようとした鎮静会議員を名乗る正義派に同情を寄せる藩士の代表が正義派が萩に突入するのを止めるため山口に説得に行った帰り、このあたりで藩軍に待ち伏せされ、三名が命を落としたのだそうです。碑の隣に地蔵がありました。三士を慰霊するために置かれたのでしょうか。しばらく川沿いの道を歩くと吉田松陰がペリーの軍艦で密航しようとした罪で囚われ、萩に護送されるとき、明木橋端で詠んだという歌碑がありました。
雨上がりの石畳は滑りやすい(復元石畳)

発見された元々の石畳(平らな石がきちんと並べられている)

石橋(元は土橋だったようだ)

殉難三士の碑の横にある地蔵

吉田松陰歌碑

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