2016年8月31日水曜日

8月終わりの縮景園(2)

 縮景園の濯纓池に架かる跨虹橋は、天明の大改修の時架けられました。とても堅牢に造られ、原爆が落とされた時にも壊れませんでした。濯纓池は汽水なので鯉、ボラ、スズキ、チヌなど海と川の魚が一緒にいます。この時期あまり花は咲いていませんが、園の入口近くにムサシノハギが咲いています。
濯纓池に架かる跨虹橋


被爆直後の縮景園(案内板より)
濯纓池の水は汽水なので鯉、ボラ、スズキ、チヌなど海と川の魚が一緒にいる

ムサシノハギ

2016年8月30日火曜日

8月終わりの縮景園

 8月29日の縮景園は、薄曇りで少し涼しく、夏休みの終わりを楽しむ小学生連れの家族や、結婚式の前撮りのカップル、国内外の観光客などたくさんの人が入園していました。数寄屋風書院造りの清風館の鬼瓦は桔梗の紋です。浅野家の裏家紋のようです。濯纓池には14の島があります。島ではアオサギがくつろいでいました。石蟾橋の南側池中に蟾(ひきがえる)に似た石があります。この石はかつて儒学者の藤原惺窩が所持していたものだということです。
清風館(昭和38年39年の2年で復元)

鬼瓦は浅野家の裏家紋の桔梗

濯纓池には14の島がある(島でくつろぐアオサギ)

蟾石(せんせき)

2016年8月29日月曜日

広島城を訪ねて(3) 猫

 広島城の天守閣の石垣の下に行ってみると、白い猫が石の上でのんびり座っていました。カメラを向けると、毛利時代に築かれた石垣を難なく登っていきました。さすが猫です。
何か用?

せっかく休んでいるのに!!

こんな石垣簡単に登れるよ

すごいだろ

2016年8月28日日曜日

広島城を訪ねて(2) 天守閣からの眺め

 広島城内部の展示は撮影禁止なので、企画展「広島城大解剖」資料解説書 広島城を買いました。広島城について簡潔に分かり易くまとめられています。五層に上がって四方を見てみました。東方面はすぐ隣接しているのがRCCの建物、ずっと向こうに見えるのが建設中の広島駅南口の高層ビルです。北方面は基町高校が隣接しています。西方面は基町高層アパート群です。南方面は先日プレオープンしたおりづるタワーその右手に原爆ドームが見えます。築城当時は最も高い建物で周囲がよく見渡せたのでしょうが、現在は高いビルに囲まれてしまいました。

企画展「広島城大解剖」資料解説書 広島城

天守閣5層から東方面を望む(手前がRCC 向こうに建設中の広島駅南口の高層ビルが見える)

北方面(基町高校が隣接している)

西方面(基町高層アパートが建ち並ぶ)

南方面(中央におりづるタワー、右手に原爆ドームが見える)

2016年8月27日土曜日

広島城を訪ねて(1)

 広島城で企画展「広島城大解剖」をやっているので、行ってみました。御門橋を渡り表御門をくぐると被爆樹木ユーカリが迎えてくれました。暑さの中でも元気です。内堀をのぞくと亀がたくさん集まってきました。アカミミガメのようです。企画展「広島城大解剖」の立て看板が石垣前に立っています。久しぶりに天守閣に入ります。天守閣は昭和33年にコンクリートで復元されたものです。
広島城(御門橋・表御門・多聞櫓・平櫓・太鼓櫓)

被爆樹木ユーカリ

内堀の亀(アカミミガメのようだ)

企画展「広島城大解剖」の立て看板

コンクリートで復元された広島城天守閣(昭和32年着工昭和33年3月26日竣工)

2016年8月26日金曜日

広島東洋カープセ・リーグ優勝へのマジック点灯!

 7月24日カープはジャイヤンツに快勝して、ついにセ・リーグ優勝へのマジックナンバー20が点灯しました。早速25日には紙屋町の広島銀行本店ではセリーグ優勝へのカウントダウンM20が掲示されました。そして25日夜の見事な逆転劇でマジックは18に。いよいよ25年ぶりのセ・リーグ優勝が現実化してきました。
カープセ・リーグ優勝へのカウントダウンM20(8月25日撮影)

カープセ・リーグ優勝へのカウントダウンM18(8月26日撮影)

2016年8月25日木曜日

広島市 秋の空

 8月24日午後の広島市中心部の空です。盆は過ぎても猛暑が続きますが、空を見上げると、秋の雲のうろこ雲や巻雲が出ていました。暑さの中にも確実に秋がやってきています。もう少しの辛抱で、さわやかな秋がやってきます。
平和大通りから見上げた空(うろこ雲)

相生橋から見上げた空(巻雲)

旧市民球場上空(うろこ雲)

基町上空(巻雲)

2016年8月24日水曜日

庄原市を訪ねて(10) 上野池

 上野池は桜の名所として親しまれています。庄原は西城川より高い位置にあるため、ながらく灌漑用水に悩んできました。そのため江戸時代初めに灌漑用溜池として造られました。その後嵩上げ工事や導水トンネル工事などが行われ、広い範囲を水田化することができました。このトンネル工事をしたのが、八木用水を作ったことで有名な桑原卯之助だということです。
上野池案内図

上野池①

上野池②

2016年8月23日火曜日

庄原市を訪ねて(9) 上野池付近⑥ 瓢山古墳

 上野池端の小高い丘の上に瓢山古墳があります。坂道を上っていくと大きな石柱が建っていました。昭和17年に県史跡に指定された前方後円墳です。下からみるとただの小さな丘にしか見えませんが、古墳の上に上がってみると確かに前方後円墳でした。全長41m、後円部に直径22m、高さ4m、前方部17、8m。葺石が葺かれ、周囲に円筒型埴輪が巡らされていたそうです。1500年前ごろの古墳だと推定されています。
瓢山古墳に向かう

瓢山古墳は県史跡(昭和17年指定)

前方後円墳だが下から見るとただの丘にしか見えない

古墳上に上がると前方後円墳だと確認できる

2016年8月22日月曜日

庄原市を訪ねて(8) 上野池付近⑤ 宝蔵寺② 宝篋印塔

 宝蔵寺には県重要文化財の宝篋印塔があります。説明板によると、この宝篋印塔には「延文4年南呂下旬」(1359年8月下旬)の銘があり、「沙弥並量」を願主として建立された供養塔だそうです。延文4年は山内氏がこの地を治めていた時期で、延文は北朝年号であり山内氏は北朝年号を使用していることなどから、この塔は山内氏に関係があるものと思われるようです。宝篋印塔は寺の裏庭にありました。笠の隅飾突起が直立に近い古い形式です。基礎の格狭間の淵のところに何やら文字が書いてありましたが、劣化が激しく読み取れませんでした。
宝蔵寺宝篋印塔①

宝蔵寺宝篋印塔②(笠の隅飾突起が直立に近い)

宝蔵寺宝篋印塔③(何やら文字が書いてある)

2016年8月21日日曜日

庄原市を訪ねて(7) 上野池付近④ 宝蔵寺①

 丑寅神社から宝蔵寺に向かいます。この寺は真言宗のお寺で開基は不明ですが、崇徳天皇の命令で造営されたという説がある古刹です。古くは川北町の勝光山にありましたが、後、柳原の瀧尾山に移り鎌倉・室町・戦国時代に地頭としてこの地を治めていた山内氏の祈願所として保護され繁栄しました。この地に伽藍を構えたのは江戸時代の正保2年(1645年)だそうです。仁王様に迎えられて境内に入ると右手に観音堂が建っていました。左手が鐘楼、正面に本堂があります。
宝蔵寺仁王門

宝蔵寺仁王像(阿形)

宝蔵寺仁王像(吽形)

宝蔵寺観音堂

宝蔵寺本堂

2016年8月20日土曜日

庄原市を訪ねて(6) 上野池付近③ 丑寅神社狛犬

 丑寅神社には3対の狛犬がいました。境内の狛犬は構え型です。石段中段にも構え型の狛犬がいました。この狛犬は庄原が生んだ劇作家、評論家の倉田百三の父親吾作が奉納したものです。随身門の下の狛犬の吽形は玉を縛った紐を咥えています。
丑寅神社狛犬(境内 構え型)

丑寅神社狛犬(石段中段)

丑寅神社狛犬(石段中段 倉田百三の父吾作が奉納)

丑寅神社狛犬(石段 随身門下)


                           
丑寅神社狛犬(石段 随身門下 玉を縛った紐を咥えている)

2016年8月19日金曜日

庄原市を訪ねて(5) 上野池付近② 丑寅神社

 坂道を上って上野池の近くにある丑寅神社に向かいます。神社入口の参道脇に自然石を重ねたような石燈籠がありました。よく見ると火袋が鉄鍋のようにみえます。石段を上って行くと立派な社殿が建っていました。この神社の祭神は伊弉諾尊、素戔嗚尊、吉備津彦命と三輪大明神が相殿で祭られているそうです。
丑寅神社参道石燈籠

火袋が鉄鍋?

丑寅神社石段

丑寅神社拝殿